自動車の免許を取り損ねたら辞書にハマっていた話
はじめに
先日、武田三輪氏と、我らが辞書尚友代表のLakka26による対談Youtubeライブ「辞書女子会」が行われた(現在は動画非公開)。その中で、辞書を好きになったきっかけは「諸説ある」という話が出た。
この「諸説ある」が、とても面白く、的確な表現だと感じた。私が辞書を好きになったきっかけを考えても一つに絞るのは難しいし、そもそも、何か物事を好きになるきっかけが一つしか無いことの方が稀で、大体は諸説あるのではないだろうか。自らの諸説を振り返るうちに、他の方もどうやって辞書と触れ合い、好きになったのか気になった。
Lakka26は以前、自身が辞書尚友の代表になるまでをnoteにまとめている。誰かの諸説は書けば書くほど増える。そこで今回はひとまず、私が辞書を好きになった諸説(きっかけ)をまとめてみた。
私はたまたま辞書と触れ合い、のめり込んだ要素が強い。少しでもタイミングが違えば、辞書に興味すら湧かなかったかもしれない。
この記事を読んでいただければそれだけで嬉しいし、今後、同じように辞書オタクの方々が辞書にハマるきっかけ(諸説)を読むことができればなお嬉しい。
※Lakka26が辞書尚友の代表になるまでは、以下の記事にまとめられています。ぜひお読みください。
学校の朝読書
辞書を初めて「おもしろい」と感じたのは、中学校の朝読書の時間。はじめ、朝読書では図鑑を眺めていることが多かったが、あるとき教師から「図鑑は本ではないので、別の本にしろ」、と注意される。
この発言は当時からおかしいと感じたうえ、明言はしないが小説を読ませたがっているのをひしひしと感じたので、教師に反抗したい気持ちから地図帳を読み始めた。するとやはり地図帳でも「文章ではないからダメだ」と注意される。その教師曰く、文章ならよいらしいので、今度は『旺文社国語辞典 第十一版』(旺文社)に変えた。辞書はそこまで文句を言われなかったので、それ以来朝読書では旺文社国語辞典をよく読んでいた。
もともと辞書が嫌いではなかったが、改めて読むと、短い語釈でことばを簡潔に説明してくれるのが楽しい。おまけに旺文社国語辞典はニオイも良い。もちろん当時は、この辞典の「旺国」という略称や、辞書マニアの中でも旺国はNice smellだと広く認知されていることなどは、知る由もない。
適度に辞書と触れ合う生活が続いたが、中学校卒業後はしばらく辞書どころか読書そのものから離れてしまう。
忘れもしない2022年9月30日
免許を取得するはずが
転機となったのは高校3年生の秋である。2022年の9月30日、私は自動車の運転免許を取得するため、朝の5時に家を出て東武東上線の下り電車に乗り、埼玉県鴻巣市にある免許センターへ向かっていた。しかし信号トラブルが発生し、免許センター行きのバスが発着する東松山駅の一駅手前、高坂駅に着いたところで電車は運転見合わせとなる。
これにより、その日の免許取得が既に不可能となったのはもちろん、中途半端に電車が進んだために帰宅すらできない。何もせず運転再開を待つのはもったいないので、東松山駅まで歩きながら、当時控えていた大学の総合型選抜試験で使えそうな資料集めをして、運転再開を待つことにした。
7kmほど歩き、資料集めを終えて東松山駅に着いたのは8時45分。既に最初の遅延から4時間弱が経つが、未だに電車はほとんど止まったまま。駅舎の内も外も、学校に登校できない生徒でごった返していた。
帰る目途が立たない中で、下り電車がホームにやってきた。自宅とは反対方向になるが、どちらにせよ帰れないことに変わりは無い。私は思いつきでこの下り電車に乗り、終点でさらに秩父鉄道に乗り換えて、初めての秩父へと向かった。
秩父に来たはいいが
ノープランで秩父まで来てしまったが、電車を降りてから大変なことに気が付く。この日(9月30日)、秩父鉄道は翌日の10月1日に行われるダイヤ改正に向けて、万全に準備を整えていた。つまり、私が秩父に初めて訪れた9月30日が、現行の時刻表で運行する最後の日だった。そのため駅の案内、窓口備え付けの時刻表、公式ホームページ等々…どこを見てもダイヤ改正後の翌10月1日以降の時刻表のみで、今日9月30日の時刻表がどこにも記載されていないのである。
こうして私は、いつ来るか分からない電車を頼りに、土地勘ゼロの地域を思いつきで回ることとなった。
なお、秩父観光自体も「かつ丼を頼むと蕎麦が出てきそうになる飲食店」など見どころ満載なので、また別の機会で紹介したい。
話を戻そう。
秩父地方、特に秩父市中心部より南西部では、電車が来るまでに早くても40分ほどはかかる。長いと一時間半以上来ない。当然、駅の近くに暇をつぶせるような施設も存在しない。つぶされているのは軽トラに轢かれたヘビくらいである。そのような環境でありながら今日は時刻表も無いので、帰宅する際はたまたまリュックに入っていた『国語小辞典』(井浦芳信,永岡書店,2021)をぱらぱらと眺めながら、待合室で電車を確実に待つことにした。この出来事がきっかけで、再び辞書に興味を持ち始める。
その後私は、思いつきで観光どころかアルバイト先まで秩父に決めてしまったので、しばらく秩父に通う日々が続く。
普段のバイト終了時刻では帰宅する時間が微妙になりがちで、たいていは本来乗るはずの電車を目の前で見送ることになる。そのため、待合室で気長に本を読みながら46分後の電車を待ち、たまにくまざわ書店 秩父店で新しい本を探すのが日課になった。
特に、くまざわ書店 秩父店の書棚には『全国方言辞典』(東條操,東京堂出版,1951)が並んでいて、「こんな辞典もあるのか」と興味を惹かれた。この辞典に惹かれ続け、結局アルバイトの最終日にご褒美として購入した。
古書店との出会い
秩父に通い詰める生活が終わって間もなく、私は親戚と会うために茨城のつくばを訪れる。会う予定の時間よりだいぶ早くつくば駅に着いたので、書店で時間を潰そうと考えた。
Google mapで検索した結果を頼りに書店を回るが、2軒連続で休業中。3軒目の本屋「ブックセンター・キャンパス」は営業していたので、ここで時間を潰すことにした。
なお、私ははじめ、新本を取り扱う書店を目指していた。しかし、ブックセンター・キャンパスは古書店。そうとは知らずに入ったこの書店が人生初の古書店となる。
店内に入るとすぐに、床から私の身長ほどの高さまで平積みされた本の山の数々が迎えてくれる。ここまで本に埋め尽くされた空間は初めて見た。これらをくぐり抜けて本を探すだけでも心が躍る。
私はこの時『民俗學辭典』(民俗學研究所 東京堂 1951)と、『日本歴史地名大系 8 茨城県の地名』(1982 平凡社)の2冊を購入。誤ってぶつかれば雪崩を起こしそうな本の山々から脱出したかと思えば、今度は辞書に詰められたことばの海に呑まれてひたすら圧倒されるばかりだった。
亀、捕獲
ブックセンター・キャンパスと、そこで購入した2冊の辞書との出会いから、私はさらなる古本を求めて神保町を徘徊するようになり、みるみる古書店と辞典にのめり込んでいく。なかでも、『増補 大日本地名辞書』(吉田東伍,冨山房,1969)は、たった一人でここまでの大著(全8巻。第八巻のみ東伍以外も担当)を完成させたのかと感動した。辞書の内容はもちろん、次第に辞書編纂者が辞書にかける情熱にも惹かれていった。
そんな生活を続けているうちに、ふとXで「辞書尚友興味あるなー(意訳)」と迂闊に発言したところ、すぐに当該ポストを消したにも関わらず辞書尚友の方々に発見される。なんて恐ろしい組織だと思った。
間髪入れずに当時の代表ふずくから勧誘を受け、ポストをしたその日のうちに辞書尚友へ加入していた。ふずくがOBとなった現在は、私が新入生候補を爆速でかっさらう役割をしっかり継承している。
ふりかえって
ここまで私の拙い文章にお付き合いいただき、感謝の念に堪えない。
まるで辞書と関係のない出来事やトラブルの連続から辞書が好きになり、現在は辞書サークルの副代表も務めるに至っている。2022年9月30日、あの日免許が取れなかったことで、たった2年の間に辞書の蔵書が300冊以上増えるなど誰が予想できようか。
改めて諸説(きっかけ)をまとめると、おぼろげに認識していた諸説どうしが繋がり、書いていて新鮮な気持ちになった。
自分を振り返る良い機会になるし、(何より私が読みたいので)辞書オタク諸氏においても、ぜひ自身が辞書にハマるまでの諸説をまとめていただきたい。
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