59歳👩腰椎手術当日
手術のための準備
手術から帰ってきたときには何もできないだろうから、テレビの角度を見やすい位置に調整し、リモコン類は取りやすい場所に置いた。日々使いそうなものは引き出しの中に入れていたが術後は絶対に開けられないだろうからベッド脇の椅子に置いた。というのは前回の手術ではベッドごと手術室に移動したのでS字フックでベッド脇にかけていたものは別の場所に置かれてしまったからである。それは悲惨・・・と思っていたが今回は徒歩で手術室まで移動した。
手術室に入室
外来で麻酔医の診察は受けており、説明もしていただき、こちらの要望も伝えてありました。ただ、毎日たくさんの症例と対峙する彼らに漏れがあるのは当然だろうと思い、くどいと思ったことは再度伝えた。
それは覚醒時に体温が下がり、非常に寒くなるので保温を頼みたいという事と「吐き気の管理をどうかどうかお願いします。」この2点であった。
そして、ベビーフェイスが可愛い執刀医がニコニコしながらやってきた。私はアントニオ猪木ではないが「先生、元気ですか~?」と尋ねた。執刀医がいて、体調万全であることが必須条件。母親のように沢山寝た?お酒はほどほどにした?などと聞きたかったが心に留め、「はい!」と爽やかに答えてくれたので「あ~、もうまな板の鯉じゃ~!」という気分で手術の望んだ。何度目か忘れた全身麻酔だが一回の瞬きで手術が終わっているタイムスリップ感は不思議でたまらない。
手術終了
あまり覚えていないが朦朧としている中で聞こえてきたのは「この人、体温33℃だ。久々だねぇ、この体温。」と看護師が話している声が聞こえた。麻酔医に寒くなるからと伝えても伝えなくても体温管理はきちんとしてくださっていたんだろうなと思った。手術スタッフよ、ありがとう。今回は術後に凍えることがなく救われた。
そして、吐き気の件だが過去最高に吐き気のない術後だった。いつもゲェゲェ、オエェェェェ~~~と吐き続け、術部が痛いのに全身を使って吐こうとするのが辛かったのだがこの点では救われた。くどいが強調して言わせてもらおう。超救われた!
ICUでの長い夜
アレルギー体質なので、手術に関しては要注意人物。術後の体調変化に対応できるよう、手術はいつも朝1だ。絶食して、ドキドキしながら待つ必要がないのは良い。と思っていたのだが、となると夜が長いという事になる。
以前の手術では鎮痛剤の量が決まっていて、「朝、担当医師が来るまで鎮痛剤を追加できないんですぅ~。」と言われたのを思い出した。「やばい!やばすぎる!夜が長い!でも痛すぎる!」
寝返りを打ちたいが腰の手術のため寝返りをうてない。鎮痛剤を使い切ってしまうのも地獄が待っているはずと思いながら息も絶え絶えに「鎮痛剤の量は決まっているんですよね?朝までになくなって痛みを我慢しなければいけないなんてことはあるんですか?」との問いに「大丈夫ですよ、痛い時にはいつでも仰ってくださいね。」
看護師の事を白衣の天使と表現されますが朦朧としながらも痛がる患者、病棟看護師ではないので一晩限りの関係ともいえる。笑
なのに「痛いですよね、鎮痛剤、打ちましょうか?」
鎮痛剤は麻酔薬のように打っていただくと一気に寝落ちすることができた。痛みの苦しみの中でウクライナやガザでの戦争で鎮痛管理もされずに何日もこの痛みと戦い続けなければならない兵士たちがいるのか。能登の震災、東北の震災などで助けの声が届かず、凍えながら痛みと戦い続けた人たちがいることを思うと今の自分は幸せだと強く思った。戦争、天災などのニュースで心を痛めていた私は表面的な思いだったなと改めて思った。だ~け~ど~、痛い。
鎮痛剤の効果が切れて「今、何時ですか?」と看護師さんに聞くて悲しそうな顔をしながら「さっきからまだ1時間しかたっていないんです。痛いですね。体位交換をご希望の時はいつでもお声がけしてくださいね。」と言われ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら1時間に1回身体の向きを変えていただいた。朝日が病室に入ってきたときには晴れ晴れとした気持ちではないけれど嬉しかった。