死ぬこと、死にたいこと。

はっきりと覚えている範囲で希死念慮は中学に上がる前から持っていました。

自殺願望より他殺願望強めの。面倒くさがりだというのと、自殺に対する父母のうざったい事。あとはよくわからないプライドかもしれません。

中高の時にたまにある人生計画みたいなものが苦手でした。わかると思いますけど、生きたいと思ってないのに老後まで考えなければならないんですよ。できるなら今すぐにでも死にたいと思っているのに。高校の頃にあった人生計画には、そんな気持ちを隠すように「30までに人生を終えたい」って書いたんです。歳を考えるのは中々に難しかったんですが、人生を終えることが人生計画表に一番最初に書き込んだ事です。

あとは意味のない装飾の様に好きなアーティストがステップアップしていく様を書きました。自分になんら関係のない話です。半分以上空白で出しましたけど教育実習の先生に「えっ」と驚かれただけで、他は何も言わなかったので見た人の中でも危機感のない緩いものだと誤魔化せたのなら幸せです。実際他死を望んでいるので、緩いものには間違いはないのですけれど。その「死」を書くことで間違っても他人を不幸にさせてはいけないですから、少し冗談の様に書いたあの時の自分にも納得はいっています。

中学の頃から生きたいですか?死にたいですか?と聞かれたら死にたいですと即答できる様な精神だったと思います。生死を考えていない精神が安定している時でさえそれを問われれば死を選んだでしょう。

死はずっと隣にいながら触れさせてくれないのです。生に羽交い締めにされ身動きが取れないのを横で笑って見てるだけ。1番渇望していることなのに許されない死。死こそが救い。そう思うことさえ許されない様な。

自死を選ぶには億劫で死ぬ時まで親の声が響きそうだと思うのです。最後には好きだったことやそれに対しての未練に塗れて死んでいきたいと私は願っているのかもしれません。