![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/97593295/rectangle_large_type_2_4f562cc070297673e688dbb13ec67487.png?width=1200)
クルマが持つ不思議な魅力
今乗っている車を手放すことにした。
買い替えではなく、私は今後自分の車を持たずに、必要なときは家族の車を貸してもらうことにする。
理由としては、今の仕事がフルリモートで、今後もそういった働き方をしていくとほぼ確定したので、普段は家族の車を借りれば充分で、今の使用頻度では自分の車を持つにはあまりに維持費が高いということ。
思えば18歳から10年間東京に住んでいた私は、20代はほぼ車とは無縁の生活だった。
たまに旅行に行った際にレンタカーを運転することはあったけど、免許を取ってすぐに車の事故を起こしてしまったことがトラウマで、車を運転することには抵抗があったし、車に対してのイメージは、怖いしとにかく高い、といったネガティブなもので、まるで興味がなくて、知識もなかった。
国産車と外車の違いも、普通車と軽自動車の違いさえろくにわからない。
正直、車の良さなんてなにもわからないし、田舎に住んでれば移動手段として必要だからみんな乗ってるだけでしょ、と思っていた。
もちろん車に乗っている人の中には、ただ必要だから乗っているだけ、という考えの人もいると思う。
でも、自分が地元に帰って田舎暮らしに戻って、30代から半ば強制的に車を運転するようになってからは、それまで気づかなかった「車の持つ不思議な魅力」が私にもだんだんわかってきた。
それがなんなのか、なぜ魅力を感じるのか明確にはわからないけれど、私は車に乗るようになってから少しだけ車に詳しくなったし、好きになっていった。
約4年間、乗った私の車。
一番の思い出はやっぱり、通勤だと思う。
朝、仕事に行くのがどんなにつらくても、好きな音楽をかけて道を走る40分の間に、心は落ち着いていったし、仕事が終わって車に乗り込むときにはいつも心がほっとして、「おかえり」って言ってもらえてる気がした。
仕事がつらすぎて車の中で泣いたときもあった。そんな極限状態の私を見守っていてくれた存在だ。
維持費という現実問題に直面して、結局今のタイミングで手放すことになったけれど、今の車との思い出はたくさんあって、つらい時代を一緒に過ごしたからこそ、愛着がある。
手放すと決めてからは特に車で過ごしたいろんな思い出が蘇ってきて、すごくさみしい気持ちでいっぱいだ。
自分の車を手放すことを考えていたタイミングで、トヨタの社長が変わるというニュースが入ってきた。
トヨタ本社は実は私の地元から近い場所にあって、とても親しみのある地元の大企業なので、ニュースを聞いてあらためて豊田章男社長の今までの歩み、人柄、みたいなものをいろんなコラムや動画などで見ていたらめちゃくちゃ魅力を感じてしまい、ついに本まで購入してしまった。もはやただの推し。
(時代を動かす働くおじさんってめっちゃかっこいい)
とても印象深いのは、豊田社長の「車への愛」だ。後継者となる新社長を選ぶ決め手も「車が好きなこと」だったらしい。
車を語るときの、乗っているときのキラキラとしたまなざし、それを動画で見ていて、あらためて「好き」という気持ちが動かす力の大きさを感じた。
日本には“愛車”という表現があります。冷蔵庫のことを“愛”冷蔵庫なんて言う人はいません。クルマはやはり“愛”がつくエモーショナルな存在ですし、これからもそうであり続けてほしいですね。
こんなふうに語る豊田社長のインタビューがあった。
車とは、「愛」がつく存在。
例えば都会に住んでいて、車に乗らない、持つ必要がない人からすれば、なんのこっちゃ、なのかもしれない。
かつての私だったら、そう思ったと思う。
でも、今なら私も少しは分かる。
車のことを目を輝かせて語る人の気持ち、熱狂する人の気持ち。なぜそれほどまでに車が人を魅了するのか、ということが。
車はただの機械でも、単なる移動手段でもない。
ときには愛おしい自分の子供のような、ときにはいつも見守ってくれる優しい親のような、そんな不思議な魅力を持っている、乗れば乗るほどに愛を感じる乗り物だと思う。
今から車を手放すくせに、こんなことを言うなんて矛盾してるかもしれないけど、本当に心からそう思ってるし、手放す車にはとっても感謝してる。
手放すまであと2週間、今までの思い出を噛み締めながら、大切に乗りたい。
そしてまたいつか自分の車を持つときが来たら、そのときはまた車にたくさんの愛を感じたい、と思っている。