料理、愛情、飽和
毎日食べているお弁当にいくら冷凍食品が入っていようと、スーパーのお惣菜が入っていようと、家で一人で食べるのとは違う味がしてくる
友達が自分に誕生日プレゼントを買ってくれた
先輩が自分にジュースを奢ってくれた
母が自分のために何かをしてくれた
大事なのはプレゼントでもジュースでも何かでもなく、相手が自分のために行動してくれたという事実だと思う
味の素の冷凍ギョウザは美味しいくせにいとも簡単に出来上がってしまって、本当はお腹がいっぱいになりかけてるのにもう一つも焼いてって言ったら簡単なんだから自分で焼けるでしょうと一蹴されちゃった
めんどくさいから作ってほしいと思われたのだろうか、そうじゃなくて、餃子が食べたいんじゃなくて、あなたの焼いた餃子が食べたいの、一緒に何かを食べたいの
誰かの愛情を欲するのは愛されてこなかったからなのか、愛されている幸せを知ってしまってるからなのか、どちらでもあるけど、どちらでもなくて
一度愛されたい、誰かの温もりに触れたいと感じてしまえば、それは水に溶ける絵の具のように速くどんどん色味を増していって、寂しさが涙に変わって溢れ出て
何やってるんだろうなって思う
友達がたくさんいても、好きな人がいても、結局最後に残るのは虚しさだけだと気づいたとき、昼休みを一人で過ごすようになっていた
愛って、好きなものより嫌いなものを知っていることだと思う
好きな食べ物はって言われるとあまりにありすぎてなかなか出てこないけれど、嫌いな食べ物はと聞かれるとすぐに答えられる
それは食べ物だけでなく、動物でも、色でも、なんでも
マイナスな感情はそれだけ強く記憶に残るものだから
あなたには、 あなたの嫌いなものを好きなものよりもたくさん知っている人が周りにどれだけいますか、
会いたい時に会いたいと、寂しい時に寂しいと言ってくれる人が何人いますか、
日々の愛情を感じるのと同時に、寂しさが募っていく。
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