「彼女は頭が悪いから」 をより多くの人に読んで欲しい理由
彼女は頭が悪いから/姫野カオルコ
読了です。
どうしよう、読み終わった今もなんだかモヤモヤ、嫌な意味でのドキドキ、、、
姫野カオルコさんの作品を読むのは初めてです。わたしはいつも本を選ぶとき、なんだかんだ事前知識を頼りに選んでしまう。
「あ〜この作家さんこないだテレビで特集されてた」
「この本最近よく読んでる人見かけるな」
「この作家さんこないだおもしろかったから読んでみよう」
こんなかんじで選ぶのですが、今回は本屋をグルグルと徘徊しているときにその強烈なタイトルとカバーに惹かれて手に取りました。
だって、「彼女は頭が悪いから」って、そんなストレートな笑
いざ読み始めると、プロローグで実際にあった東大生による女子大生暴行事件がベースなのだとわかった。正直この事件は当時自分だって大学生だったはずなのに記憶になかった。おそらく興味がなかったわけではない。ただこの手の事件が多すぎるのだ。
物語は被害者女性である美咲と、加害者の1人であるつばさの話を交互に読む形で進められていく。よくある一般家庭でよき長女として公立小中高女子大で健やかに育ってきた美咲。国家公務員と専業主婦の間に生まれ、兄を反面教師に効率よく、学歴家柄命で育ってきたつばさ。この2人が中学、高校時代をそれぞれ過ごし、美咲が大学3年生のときに2人が出会い、事件が起こる過程が描かれているのだが、そこを読むとこれは決して一夜にして起こった出来事ではなく長い年月をかけて環境と社会が育てた歪んだ価値観や自尊心故に起きた事件だとわかる。
この作品を読んでいるとき、ずっと苦しかった。それはわたし自身の経験と被るところがあるからだ。
美咲はつばさに恋して、つばさにとって一夜の関係だったところを彼氏ができたと認識した。このお互いの勘違いは解決することなく、その後美咲はつばさから都合よく様々な集まりに呼ばれるのだが、そこでは「ネタ枠」のような扱いをされる。容姿を判断されて、ランク付けされる。
そういえばはじめに違和感を覚えたのは小学生だったことを思い出した。わたしが育ったのは田舎でも都会でもない、都心から電車で1時間くらいのところで、当時1学年2クラスしかないような小さな小学校に通っていた。そんな人数が少ないもんだから当然仲もよくて、いつもみんなで遊んで。だからこそ驚いたのだ。男子たちが陰で女子にランキングをつけていることに。
「○○(私)は好きな女子ランキングでは10位で、嫌いな女子ランキングでは6位だよ。」と、とある男子に言われたときにはその内容にショックを受けたし、違和感を感じた。でもその違和感を示す言葉がわからなかったので、わたしは男子はそういうもんなんだ、と理解することにした。
中学校でも当然そのような出来事はあった。しかしすこし流れが変わってくる。中学に入ると今度は「不良の男子」という生き物がスクールカーストの上にたち、男女関わらず、下位にいると判断されたものがいじめられた。この下位への判断基準は容姿だ。太っている、ブス、ガリ、汚い、天パ、そんなことでしか人を判断できない奴らだと思いつつも、そっち側とみなされいじめられることが怖くてぽっちゃりしていた私はご飯が食べられなくなった。10キロ痩せた。元々ストレートの髪にパーマをかけた。そして安心した。同時に猛勉強した。頭の良い高校に行きたかったから。頭の良い高校に行けばこんなバカたちいなくなる、そう思って勉強していた。
このときのわたしは、人を容姿でしか判断できないことに憤慨しつつもそれに従い、さらに偏差値で人を判断していたのだ。そうしないと生き延びれないと、小さな世界で生きていく術はこれしかないように思えた。
そんなこんなでなんとか入学した県内でも進学校的位置づけでの公立高校での生活は楽しかった。容姿が気にくわないからいじめる、なんてことをする人はいない。
でも容姿による判断はここでもあった。それは些細なことから感じ取ってしまうものだ。クラスのかわいい子は入学当初から先輩が新入生のクラスまで見に来るし、かわいい子は初めて顔を見るような相手に告白されていた。わたしはそのかわいい子と仲がよかったから、かわいい子のメールアドレスを聞かれたり、予定を聞かれたりするわけで。「君、〜ちゃんと仲良い子だよね?アドレス教えてくれないか聞いてくれない?」この人の中でわたしの名前は存在しなくて、〜ちゃんと仲がいい子って名前なんだ、そう思った。でも高校生のわたしにはそんなこと言う勇気はないから、というかそれを本質的に理解したら生きていくのが辛いから、いつもヘラヘラ笑った。ヘラヘラ笑うしかなかったのである。
高校のときはもうこれが身体に染み付いていた。わたしの入っていたダンス部はかわいい子が多かった。かわいい子が多いな〜とは思っていたけど、クラスの男子に「お前はダンス部の仲でネタ枠だよな!おもしれーし!」と言われたときに初めてわたしってネタ枠なんだと自覚したし、そうあらなきゃいけないんだなと思いショックだったけど、ヘラヘラ笑った。なにかと自虐で笑いを取り、恋のキューピットをし、彼氏いないキャラとして生きた。「おいブス!」と言われても「ふざけんなよ〜!」と笑って見過ごした。
思えばこの時代を経てわたしの自己肯定感の低さと自尊心のなさが生まれたと思う。自虐なんて絶対にやっちゃいけないことだと今ならわかる。でも、当時は自虐して、笑いを取ることで自分がブスだと思われている事実から目を背けるしかなかった。
そして大学。
大学生になったら誰かが私を見つけてくれる、誰かが私に気付いてくれる、そんな淡い期待を持ちながら私立の共学に入学した。しかしこの期待も早々にやぶれることになる。
入学式で友達になった子は美人だった。その子とキャンパスを歩いているとものすごい数のサークル勧誘にあった。「新歓きて!」そう言ってくる目がハートの男子学生たちは、決して横の私と目を合わせようとしない。見えてないのかな?とすら思った。しかし見えている。見えていて「あえて」目を合わせないのだ。新歓の出席名簿に友達が名前を書き、先輩の男子学生が「じゃあ楽しみにしてるね!」と去ろうとすると美人な友達は「待ってください。友達がまだ書いてません。」と引き止めて私に名前を書かせた。そう、この友達は純粋な気持ちで友達のことを忘れていますよ、友達と行きますよと主張するようないい子だった。男子学生は嫌な顔でじゃあ君も書いてと私に言った。しにたいなと思った。そんなサークルの新歓にもいくつか行ったが、わたしは誰にも話しかけられないし、それどころかお荷物扱いをされた。横の友達にしか興味がないことは明確だった。
そしてさらに追い討ちをかける出来事が起こる。友達と新歓帰り新宿を歩いていたら同じく新歓帰りで少し酔っている同じ学部の男子学生2人と会った。
「え!△△ちゃんじゃん!このあと学部のみんなで飲むから行こうよ!」当然ここでも私とは目が合わない。
「○○(私)、どうする?」と私に問いかけたところで食い気味に男子学生1が「学部飲みだから」と言った。
女友達は「え、でも私たち同じ学部だから」と言ったら今度は男子学生2が食い気味に「だから察してよ!△△ちゃんしか誘ってないんだって!横の子はいらないの!」といい、男子学生2人で嘲笑った。悔しすぎて言葉も出なかった。
この発言に友達は怒り、行きませんと私の手を引いて行ったが、わたしはもはや行ってくれとすら思った。大してカッコよくもない学力も同じの男に人間として下に見なされ、美人な子に守られている自分が情けなくて惨めでしにたかったからだ。
長々と書いてしまったが、これらの経験は美咲と重なる。美咲は「わたしはどうせ」と最後まで思い続け、深く考えないように、良き家の中で割り切れていたが、わたしは違った。割り切れなくて徹底的に捻くれたし、大学生のときなんて有り余るほど時間があったから深く、深く考えた。そしてすこし、いやかなり病んだ。
だからこそ美咲の気持ちがわかる。白馬の王子様のようにみえたつばさを信じたかった気持ちも。
「じゃない方」とされてきた女子はいつだって生きづらく、誰かが気づいてくれる奇跡を待っている。当たり前ではないか。その気持ちを踏みにじったつばさに強い憤りを感じた。
しかしこの読後感はなんだろう。つばさたち東大生を、あんな風に育てたのはこの社会であり、環境だと思うと、美咲が「人間として下に見られたうえで、おもちゃのように扱われ暴行を受けた」ことに通報した事実 に対してなにがいけなかったのかすら理解できないモンスターを育てた責任は誰にあるのか。こんな肥大化した自意識を扱いきれないモンスターたちを。私たち一人一人にも責任はあるのではないのか。
「世間はバカとブスには厳しいよ」こんなセリフが出てくる漫画が昔にあった。
きっと、この差別は一生なくならない。自分だって無意識に、バカとブスで区別しているときがあるかもしれない。でも、その事実に気づかないよりずっといい。
この社会構造に立ち向かい続けるのは、わたしにとって呼吸をすることと同じなんだと思う。だからせめて、自分を好きでいたい。自分の価値は自分で決めたい。そもそも他人の価値を決められるほど偉い人間なんていないのだ。
「彼女は頭が悪いから」
好き嫌いは分かれると思うけど、この話を理解できる人が多くなれば、もっとみんなが生きやすい社会になるのに。なんて、そう思いました。
長々と書いちゃった!おわり!