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ミュージカル「この世界の片隅に」~歌唱指導の視点から~(8)

今日はちょっと長文でマニアックです。
もちろん今作に出演されたキャスト達はプロのミュージカル俳優として訓練を積んできている方達なので「歌が上手い」「歌える」のは大前提としてあるんですよ。それは私以上にみなさんがご存知だと思うんですが(^^;)

ですが、今回は日本のミュージカルではまだ新しい「ナチュラルな、喋り声の延長に歌があるようなスタイル」の表現を目指していたため、俳優の皆さんには今までやったことのない歌い方や発声法など、新しいことに挑戦していただく必要がありました。

主役はとにかく「歌わせない」

すずさん役の昆夏美ちゃん、大原櫻子ちゃんにはとにかく「歌わない」を徹底的にやってもらったんです。

、、、???歌唱指導は「歌わせる」のが仕事なのに、「歌わない」をやらせるってどういうこと?とあなたは思うかな(^^;)

昆ちゃんもさくちゃんも小さくて華奢な体なのに、ものすごいパワーの声が出せるのはみなさんご存知ですよね。そして2人とも素晴らしい表現力と技術を持った歌手だということも。

だけど、(2)の時にアンジーが言っていた表現のスタイルに持っていくには、彼女たちに「能ある鷹は爪を隠す」的歌唱法(笑)を手に入れてもらう必要があったんです。だから、基本は「歌わない、歌い上げない」。それがあるから、抑え続けた感情が爆発した時の声が、歌が、生きるんです。

『「歌わない」で欲しい、けどバラードでも16ビートは感じて欲しい。だけどあくまで台詞の延長で』etc…なんて、きっと2人とも最初は「何言ってんだコイツ!?わけわからん」と思ったことでしょう(苦笑)


「イイ声」で歌わせない

ほんとに見出しだけ見ると、お前ホンマに歌唱指導か!?とツッコまれそうですな(^^;)ですが本当にこれが私たち音楽チームのテーマでした。

特に主要人物の俳優たちはご存知のように美しく、才能と美声を持ったスターたちなんです。ミュージカル界のプリンスやプリンセスなんです。だから歌もついつい「イイ声」モードになってしまって、キラキラ✨しちゃうんですよね。そこをいかに削ぎ落として、自然な会話の延長のような歌に持っていくか。そこに挑戦してもらった稽古期間でした。


「ベルター桂」の誕生

M-22「自由の色」で黒村径子役の音月桂さんの歌声に涙した人は多いと思います。宝塚の男役トップスターだった桂ちゃんは、稽古の一番最初の段階では、一番高い音、B♭4(高いシ♭の音)の部分をファルセット寄りのミックスボイスで歌っていました。ですが、その部分は強い意志を持って力強く歌って欲しいシーン。そこでアンジーとも相談してベルティングボイスで歌ってもらうことにしたんです。

ベルティングってのは地声のような力強い響きを持ったパワフルな発声法なんですが、ベルティングっていわゆる「チェストボイス」「地声」を引き上げるのとは違う筋肉の使い方をするんですね。これを誤解してただ声を張り上げるのをベルティングだと思って喉を痛めちゃう人も多いんですが、桂ちゃんの目の前でアンジーにも実際歌ってもらって、どういう声の出し方をするのかレクチャーさせてもらいました。

さすが勘の良い桂ちゃんは、2回ぐらいの歌稽古でベルティングをマスター!ベルティングで歌えるシンガーのことを「Belter=ベルター」って呼ぶんですが、まさに「ベルター桂」の誕生でした。ベルター桂は55回の全公演声を嗄らさずに、あのクライマックスの音をベルティングして観客の心を鷲掴みし、素晴らしいパフォーマンスを聴かせてくれました。見事です。

ちなみにあの曲ってめちゃくちゃ音域が広いんですよ!特に低音がエグいです。一番下の音はD♭3(ピアノの真ん中のドから約1オクターブ下のレ♭)で、その音が何回も出てきます。ちなみに通常アルト(女性の低音)の下限がE3なので、それよりも1音半も低いんです。


声楽では禁じ手?ポップス的なアプローチ

そして他の俳優たちにも…、声楽や今までのミュージカル歌唱ではある意味「禁じ手」的な?(3)で書いたような「譜面に書かれていない音」を歌う以外にも、ポップス的なアプローチをに挑戦してもらいました。いくつか象徴的なものを紹介しますね。


1.「scoop」

たとえばM-9のリンが歌う「スイカの歌」の出だしは、普通の譜面ではこうなります。

普通の譜面だとこう

これを何も考えずにまっすぐ歌ってしまうと、なんというか「甘さ」や「懐かしさ」みたいなものが感じられないんですよね。で、そこで使うのがテクニックの1つが「scoop(スクープ)」です。

「scoop」は「掬(すく)う」という意味で、出したい音の半音下もしくは全音下から音をすくい上げるように歌うテクニックです。日本語だと「しゃくり」と呼ばれたりもしますが、ちょこっとニュアンスが違う気がします。

「下からずり上げる」ようなしゃくりは、ピッチがフラットして音程が悪くなる原因として声楽などではNGと言われるものですが、先に出したい音をイメージしてから「下の音をすくい上げる」scoopは、欧米ではポップスやミュージカルの中で当たり前のように使われるテクニックの一つです。


2.リズムの解像度を上げる

そのscoopにプラスして、リズムを「ワン・ツー・スリー・フォー」でなく「ワン(and)ツー(and)スリー(and)フォー(and)」と細かく感じる。つまり「リズムの解像度を上げる」んです。以上の2つを合わせたものを無理やり表記してみると、こんな感じです。

譜面に無い音を表記してみるとこうなる

AとB、声に出して歌ってみるとその違いがわかると思うのですが…
あなたはわかるかな?

すずさん役の昆夏美ちゃんが何かのインタビューで「1つの音に音がいっぱい入ってる」と言っていましたが、これはまさにそういうこと。

アンジーの作るメロディーは言葉の乗せ方が絶妙で、このようにリズムを細かくとっても日本語としての聞こえ方は不自然になりません。それどころか、むしろそのフィールで歌うことによって音の中に景色や情感が見えてきます。


3.「glottal」

これは発声時の「音の立ち上がり方」を表す言葉なんですが。
母音の「あ い う え お」を発声する時、声楽ベースのボイストレーニングだと「声帯を閉じるのと息の始まりを同時に行なう」ことが多いんですね。そうすると音の立ち上がりは綺麗なんだけどゆっくりで、ビートを出したい時や言葉のアクセントをつけたい時には不利なんです。

なので、今回は「glottal onset(グロッタル オンセット)(以下略してglottal)」というテクニックをキャストによく使ってもらいました。

これは簡単に言うと「声帯を閉じてから息が始まる」声の出し方です。音の立ち上がりが速いので、ビートを出したい時や言葉のアクセントをつけたい時には有利なんです。ちなみに「強く出す」わけではありません!声楽出身ボイストレーナーがこのglottalを嫌うのは、「息を詰めて発声する硬気声発声」と混乱しているからだと思います。

ということで、このテクニックのわかりやすい使用例がM-25「記憶の器」のサビの部分です。

通常の譜面


この「会えない」という部分を柔らかく「あーえーなーい」と歌ってしまうと、
喪失感や積み重なった記憶が薄く、軽いものに感じられてしまう。綺麗に流れていってしまうんです。
そこでBのように母音部分をglottalで立ち上がり素早く、アクセントをつけて歌うようにしてみると、次の音へ蹴り出す力強さが生まれる。力強く、厚みのある、何層もの思いや痛みを感じながらも、前へと進んでゆく推進力が聴こえてくるようになるのです。ちなみに「(あ え) な い」の「ない」の部分には何も書いてありませんが、母音部分は一緒で「な」も「n a」と発音してaの立ち上がりを速くしています。

実際の歌のニュアンス


この母音の立ち上がりはグルーヴを出すために非常に大事なポイントで、この点に
気をつけるようになってから歌のクオリティが格段に上がりました。
一時期キャストとこの「glottal」が合言葉になって流行ったほどです(笑)


最後まで読んでくれてありがとう!今回はボーカルテクニック的な解説だったのでちょっとマニアックだったかな(^^;)?


あともう少しだけ、続きます。


(続くっ!)

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