ビジネスに自己分析はムダなのか
おはようございます、しましまです。
自分でビジネスをしようと思い立った時に
作ったノートがありまして
久しぶりにパラパラしてみたら
こんな一文がありました。
自己肯定・分析はいらない
ビジネスで成功するには、って話を聞いたときに
登壇者が言っていた言葉です。
成功者は人格どうでもいいに
そりゃそうだ!!って書いてあるw
成功者をどう定義するかにもよるのですが
例えば自分の提供したもので多くのお金を稼げるようになるのが
成功者とするならば
人格はどうでもいいと今でも思います。
お金を稼ぐという行為だけをみれば
手順を間違わなければ
人格がどんなでも稼ぐこと自体は可能だからです。
ビジネスの基本は
人の悩みを解決した対価としてお金をいただくこと。
裏を返せば人の悩みを意図的に作ればお金を得られるんです。
作らなくても潜在的な不安をあおるだけでもいい。
要は不安に対して、解消するためのモノを作れば
お金になるんです。
良いか悪いか、自分が納得するかどうかは置いといて
単なる方法論としては成功の実績があるものなのだから
成功者を真似ればあなたも成功しますよ、ということです。
だから、自分を見つめ直すより成功者のモデリング。
成功者の真似さえすればいい。
成功してからいくらでも見つめ直せよ、というのが
登壇者の主張です。
事実そうやって成功している人が何人もいらっしゃいました。
億越えの人とか。
言っていることは一理あるし
そういう成功体験を経験してから考えてもいいかもと
成功だけを目指してやろうと思った時期もありました。
けれど、それでは結局モチベが続きませんでした。
進めば進むほどに気が重くなるんです。
たぶん、お金が入るってだけでは
自分の中では成功だと思ってないからなんですよね。
生きていくためにはお金が必要。
それは真理だし、お金で買える幸せもいっぱいある。
安心だって手に入れられる。
けれど、
なんか自分は違うんだよなあ…って。
そしてどんな成功にも、成功するためにはある程度の時間が必要です。
今、自分の時間は1秒たりとも無駄にはしたくない。
自分が納得しない成功のために時間を使うの?
って疑問に思って動けなくなっちゃうんです。
私の思う成功とは違う成功も体験してみるべき
と思う自分と
そんなのに時間使うくらいなら自分の思う成功にこだわろう
と思う自分。
キレイごとだけでは食ってはいけないのですが
食えなくてもキレイごとを貫きたい私💦
家族がいなきゃ(もっと言うと子どもがいなきゃ)
迷わずキレイごとを貫くのですけどね!
でも、きっとこれは
子ども(家族)と一緒に自分を満たせる成功を追求せよ
という思し召しなのかもしれない
と、最近は思っています。
# スピは好きなくせに
# 運命とか使命とかはあまり信じていない私ですが
# 自己理解という意味では
# そういう考えもアリかもと思えてきています。
40代なんて先に余裕がある年齢でもないし
私が幸せだと家族が喜ぶという好循環を
自分でわざわざ止めることもない。
一般的なビジネスの成功じゃなくて
私のビジネスの成功でいい。
だからいっぱい自己分析して
自分の思う成功がどんなで
どう道筋を建てればいいかをたくさん考える。
だいたい、自己分析って
ダメな自分を分析分解するようなものじゃないというのは
自己分析を進めていけばよくわかります。
【社会の流れに合わない】だけでダメではないし
見方を変えればダメが強みになるんです。
ダメだからこうしよう、も立派な心掛けだけど
こうやってやればうまく生かせる、のほうが
ハッピーで前向きな心掛けじゃないですか?
もっと幸せになるにはどうしたらいいかっていう
プラスをもっとプラスにするための自己分析を追求する。
それが、私のこれからの道に必要なものだと思ってます。
それはシステム化できるようなものでも
再現性が取れるものでもないかもしれない。
システム化にもできず再現性も取れないものは
ビジネスとは言えないかもしれない。
けれど、みんながみんな社会の大きな流れの中にいなくてもきっといい。
特に、ちょっと外れてるなあ…と日々感じることの多い自分には
その方向性があっている気がしています。
さあて、今日も(見た目は)堂々と
我が道を歩きましょうかね。
++++
追伸
実はですね
今日はこの記事を書くぞ!ってnoteを見たら
うたたねさんがドンピシャで私の思いを綴っておられるのを発見!
これがシンクロってやつでしょうか…(ご迷惑だったらごめんなさい)