分かっていても気にしない☘️
noterさんには色々な考え方の人がいて、
記事を読んだだけで、
あぁ、私の文章はこの人には合わない人だろうな、って時々、思うことがあります。
文章は、言い換えれば価値観とか、感性ということなんですけど。
あまり良いとは思わないのですが、スキをつけてくれないな、と気づきながらも、出す記事に私が苦手なことを書いたら、不愉快そうな反応がありました。
スキはつかないけれど、読んではくれていたと分かりました。
実験的に、こう言ったら嫌われるだろう、という言動をリアルな生活でもするクセがあります。
でも、これは人間関係を調整するために、私にはやらないと困ることです。
以前、縁を切りたい友達がいて、どうしても上手くいかない(離れられない)ため、
「凄く親しいでしょ、私たち」という、スタンスで接したら、相手がスッと引いて、そのままフェイドアウト出来ました。
その人は、近づいて来る度に、私の言いたくないことを聞き出そうとする人でした。
言葉を駆使しても、ダメなときはダメで。
好かれることが、幸せなことだと勘違いしている人がいるかもしれません。
世の中の人が、みんな良い人とは限りません。「良い人」というのが、犯罪を犯さないとか、良識や品を持ち合わせている、という性格を言っているのではありません。
立場が変われば、
自分の血を分けた家族のために敵にまわる人がいる、ということを覚えておいてほしい。
相続などがあれば、血を分けたからこその醜さをみる場合もあります。
何が言いたいかというと、自分の身を守るためには、敵も味方も理解して生活していくのが安寧を確保する人生になる、ということです。
自分から嫌われにいく必要はないですが、
「この人は、敵にまわしたら面倒だ」と思えば、距離を取る、というバランス感覚を察知するとよいかと。
小説の中で、血が煮えたぎる、とか、沸き立つ、という場面があります。
私は、本当に些細なことで、目の前の人を「居なくなればいいのに」と考えたことがあり、自分の存在が怖くなった経験があります。
だから、ニュースで恐ろしい犯人が報道されると、その人も血が熱を持つような感覚に襲われたのかな、と考えることがあります。
いわゆる、魔がさす、というもの。
簡単にヒトを傷つけてはいけない、
そんなことは誰でも分かっているけれど、何がきっかけで、加害者、被害者になるか分かりません。危険を感じたら、他人との距離をとるクセがつくといいと思います。
ずっと書こうと思っていた記事ですが、うまく伝わった気がしません。
私は自分では
優しい人柄ではないように思えて。
それでも優しくありたい、とは思います。
記事にそう感じる部分が読めるのであれば、対外的にはそうなのかもしれません。
自分のことを好きにならないと、ヒトから
好かれない、って誰かが言ってたな。
昔よりは、自分の存在が、好きになりつつあります。
真面目な自己分析で、また
よく分からなくなりました・・・
〜 なまじっか 心理学より
心理戦寄り 〜
ちび蔵 迷える字余り句