あれから10年。東南アジア青年の船(SSEAYP)が私にくれたもの
こんにちは、ちばまき(@chibamaki_)です!
冬ですねー。毎年、この季節になるとFacebookがお知らせしてくれる、ある思い出があります。
2013年に日本代表として参加した内閣府国際交流事業「東南アジア青年の船」。当時大学3年生でした。
それから10年経ち、先日「10周年の集い」がありました。
実は毎年、この「集い」と呼んでいる同窓会を行なっており、今年は節目となる10回目だったのです。
これまでの集いでは、キャンプに行ったり、Airbnbで古民家に泊まったり、海に行ったりもしましたが、特別なことをせず、ただ集まるだけ、みたいな年もあります。
大切にしているのは、1年に1回「帰ってこれる場」をつくることであり、語弊を恐れず言うと、意味があるようでないような、濃いようで薄いような。そんなつながりがすごく貴重なものになっていたりします。
今年の集いでも、気軽に集まれることを重視した会を企画し(幹事でした)、みんなで飲んだり食べたりしながら、これまでの思い出をクイズにしたり、いつもの感じで過ごしました。
そんな10周年の集いを経て、なんだか改めて、このプログラムと10年間を振り返ってみたいなと思い、このnoteを書いています。
「東南アジア青年の船(通称SSEAYP - セアップ)」とは
東南アジア青年の船事業、英語では"The Ship for South East Asian Youth Program"、略してSSEAYP(セアップ)と呼んでいます。
SSEAYPは、1974年のASEAN各国と日本の共同声明に基づき開始したプログラムです。ASEAN加盟国の増加に伴い参加国が増え、現在はASEAN10か国と日本の計11か国で行う共同事業となっています。
2013年の第40回東南アジア青年の船事業では、ASEAN各国約28名ずつと、日本37名の参加青年約320名がにっぽん丸に乗船し、50日間を共にしました。
参加するのは18〜30歳のユースで、共同生活やディスカッション活動を通して互いの理解や交流を深めること、国際的な視野を広げること、リーダーシップを身につけることなどが目的となっていました。
また2013年は、日・ASEAN友好協力40周年でもあり、様々な記念式典なども行われ、国同士の重要なプログラムであることを実感していました。
当時を振り返って
参加するまでのこと
きっかけは、大学の友人が同じ内閣府事業である「世界青年の船」に参加していて、話を聞いたこと。
当時、いろいろなことに手を出してはみるものの明確にやりたいことがなく、なんだかモヤモヤと学生生活を送っていた私にとって、体験談を語る友人がとてもキラキラ輝いて見え、「私も参加したら何か変わるかも!」と思ったのが最初の一歩でした。
ただそんな安易な考えで突っ走るわけにもいかず、実際に応募するまでにはけっこう色々悩みました。
私なんかが参加していいのか!?国の事業だよね!?
国際的に活躍できるリーダーシップってなに?
てか英語でディスカッションとかやっていける?
参加後は社会に貢献する人材にって、、、なれるのか?
あとは…2ヶ月間大学どうしよう、あーお金ないな、家族に説明めんどくさいなとか。笑
そもそも受かるかわからない。
応募書類は、郵送締め切り(当日消印有効)の夜23時頃に郵便局の夜間窓口に出しに行きました。
実家に帰省中で、理由もちゃんと説明せずに夜中近くになって「とにかく出すものがあるから郵便局に連れてけ」と母親にお願いしたのが懐かしいです。。
きっと他の応募者はちゃんと書いてるであろう志望動機には、結局それらしい理由が見つからず「自分にしかない何かを見つけたい」みたいな曖昧なことを書いた気がします。
でもそれでも2次選考に進むことができ、グループディスカッションや英語面接を経て、最終選考に無事残ったのだからきっと分かってくれたのでしょう。
やりたいことがわからないモヤモヤと、でも何者かになりたいという葛藤を抱えてもがいている大学生の気持ち。
プログラム中の自分
恥ずかしい話ですが、とにかくめんどくさいやつだったと思います。笑
特に劣等感がすごくて、今ならアホらしいと思えますが、みんな自分よりいい大学にいて、国際交流の経験も豊富、英語も話せて、と人のそういう部分ばっかりみて落ち込み、どうせ私なんて…とか、誰も私の気持ちなんてわかってくれないとか、できる人はいいよねとか、そんなドロドロした感情でいっぱいでした。
それを押さえつけるかのように明るく前向きな自分でいようと取り繕うことが多かったです。
また、自分は何も持っていないということがバレないように、とにかく存在感を示して積極的に発言し、できてる風を装うことに必死でした。
そして限界がきて爆発する。
周りと距離をとるような行動をする。
場の空気を壊す発言をする。
今思い出しても恥ずかしくて死にそうです笑
変わったきっかけ
いくつかの出会いが、卑屈な自分をちょっぴり変えてくれました。
それはプログラム参加後のレポートに書いてあったので、抜粋して載せます。
良くも悪くも、1人になれる空間がなかった船の上での生活。逃げ道がなかったけど、そのおかげでそばにいてくれた仲間に救われました。
自分や相手を信じて、オープンであり続けること
卑屈になる前に、1つでもいいから行動すること
この2つのことは、今でもずっと大切にしています。
プログラム後半〜終わってから、複数のJPY(Japanese Participant Youth、日本人参加メンバー)から「まっきー変わったよね」「話しやすくなった」と言ってもらえて嬉しかったのを覚えています。
コミュニケーションが楽になってからは、本当の意味でプログラムに集中できたし、取り繕わなくて良くなったので自分の足りない部分に素直に目を向けられるようになりました。
それからの10年間
そんなこんなでプログラムを終え10年が経ちましたが、果たして私は「国際社会で活躍できる人材」になれているのでしょうか…
その答えは分かりませんが、私自身にとって「在り方」を問う機会になったのは確かだし、このSSEAYPの仲間という、信頼でき、自分らしくいられるコミュニティができたことが大きな価値なのではないかと思います。
わたしの10年
ざっと振り返ると、、、
大学卒業して、新卒で千葉のディベロッパーで働き始めて、営業をめちゃめちゃ頑張って、毎日飲んで、たくさん勉強して、体調崩して2ヶ月入院して、結婚して、コロナで、初めて転職して、スタートアップで毎日いろいろ起こって、お客さんに怒られたりして、でも頑張って、都内に引っ越して、たくさん飲んで遊んで、転職2回して、家買って、引っ越して、毎日楽しく過ごしている今です。
直近のお仕事のこと
(ちょっと前のだけど)私にとっての働く理由
JPYの10年と出航の集い
私自身の10年がそうであるように、当時学生が多かったJPYもみんな社会人になり、結婚したり、子供が生まれたり、起業したり、海外駐在したり、いろんな人生の転機を経験していると思います。
そのフェーズは1人1人違うので、いい時ばかりではなく、悪い時も絶対にあったはず。
大学3年生の私には「キラキラ」と見えていたプログラムですが、実際はそんな綺麗なものではなかった。
でも、側から見ると輝いてみえるものなんですよね。
同様に、自分と比べてみた周りのまぶしさに、今は会いたくないと思う時期もあったと思うんです。
でも、その時々で会える時に、会える人たちで、集う場所が開かれていたことは、少なくとも私にとっては大切なことでした。
事業に参加した目的は人それぞれだとは思いますが、何か新しい自分を見つけたい、弱さを越えたい、枠を超えたい、そういう共通の想いをもっていた同士だからこそ、「今」がどうであろうと繋がっていられるのかなと思います。
意味があってもなくても、濃くても薄くても。繋がり続けることってそう簡単にできるものではないです。その価値を、10年経って改めて感じています。
私がSSEAYPから得たもの
私は今でもすぐモヤモヤしてしまうし、自分には何ができるのか?何がしたいのか?考え続けてしまい、ネガティブになってしまうこともあるけれど、良いことも悪いことも含めて受け止めてくれる人たちがいることで救われています。
自分や相手を信じて、オープンであり続けること
言葉の壁を超えて理解し合うことができたという1つの成功体験が、いつもオープンで居続けられている理由かなと思います。
SSEAYPのコミュニティはもちろん、これをずっと大事にしているからこそ、私の周りには助けてくれる人がたくさんいるんだなと、改めて感謝したいです。
卑屈になる前に、1つでもいいから行動すること
上述しませんでしたが、これを言ってくれたのはJPYのある人。彼女はプログラム中何度もこの言葉で、逃げそうになる私を奮い立たせてくれました。
今でも刺激をたくさんくれる彼女、そしてJPYのメンバーたちを見習って、諦めそうになる時はこの言葉を思い出しています。
本当に1つでもいいから行動すると、見え方が変わるからびっくりです。
今や英語を使う機会はなく、海外と関わることも減った私ですが、国際的な仕事をする云々ではなく、自分なりの価値を発揮できる場所を見つけることで、少しでも社会に良い影響を与えられる人になりたいなと思っています。
長くなりましたが、これを読んでSSEAYP気になった!とか、話を聞いてみたい!などがもしあれば気軽にご連絡ください!
Youtubeでいろいろ動画ものっていますので見てみてください〜!(懐かしい!)