文化が入ってこない街に引っ越した話
社会人になり、大学時代に住んでいた街から引っ越した。人生で初めて最寄駅がJRじゃなく私鉄になった。それも、快速が止まらないタイプの私鉄駅。徒歩圏にスーパーもコンビニも牛丼屋もあるのでまあ不便はしてないのだが、こう、なんというか、"文化"がない。
街の名前を出さないのはさすがに個人情報だから、という理由もありますが、それよりも「怒られたくないから」です。許してください、町内会の方々。
1.資本主義の外
たまに、フードコートみたいな街がある。田舎の国道沿いに多いが、デニーズなりマックなり丸亀製麺なりサイゼリアなりガストなりジョリーパスタなり、イオンの1階をそのまま拡大したみたいな街。
ああいう類の街は、資本主義を体現したような街だと思う。他意はない。あの辺に住んでたら毎日友達と会うのが楽しくて仕方ないはずだ。ただ、街の形成過程に目を向けると、地元の定食屋がデカ企業に負けて店をたたんでいく、というドラマがきっと起こっている。それは別に善でも悪でもなく、よくあることだ。
我が街はどうだろう。チェーンというチェーンは牛丼屋とコンビニしかない。かといって大企業の出店を阻むような強いローカル店舗も特に見当たらない。大規模チェーンが「出店できない」のではなく「出店しない」という選択をした街、資本主義から見捨てられた街といっていい。
つい数年前までスタバがなかった鳥取と同じようなもんか。いや、でも向こうには「すなば珈琲」という強いローカルチェーンが生まれている。比べるのも失礼なほど、鳥取の方が"上"にいる。
もう一度だけ言います。町内会のみなさん、本当に許してください。ここまで来たので最後まで突き進ませてください。
2.僕とお年寄りしかいない街
チェーンもなければローカル店舗もない。じゃあなにがあるのかと言われれば、本当になにもない。古いアパート、聞いたことのない不動産屋、常連しかいない居酒屋、「診療所」の名の方がイメージに近い古い病院。
この街には、僕と、お年寄りしかいない。
そんな場所に文化が入ってくるわけがない。いや、きっと知らないだけで「お年寄り文化」の最先端なんだとは思う。これだけお年寄りが多いのだ。原宿みたいな立ち位置になっていたとしても無理はない。ただ「お年寄りの原宿」に、我々の世代の文化が入り込む余地などない。
服屋も、映画館も、若者で賑わう安居酒屋も、お笑い劇場も、本屋もない。散歩したときの「発見」が前住んでいた街に比べるとあまりにも少ない。
「住めば都」という言葉を否定はしない。いつか居心地が良くなる日が来るのかもしれない。ただ、「住まずとも都」の土地に住んだ方が絶対良いに決まっている。
「そんな屁理屈言うなよ」と思った方、ぜひこの街にお越しください。「住めば都」を反証してみせましょう。
あ、町内会の方、全部嘘ですからね。冗談に決まってるじゃないですか。いい街ですよ。すごく。
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