アウシュビッツ訪問記【大学生ブログ】
高校のかすかな世界史の授業と、2回見たスピルバーグ「シンドラーのリスト」の知識のみを手に向かったアウシュビッツ。
数年前までの僕なら、「二度とこの惨禍を繰り返さないために、自分でも何ができるか考えなければならないと思った。」のような一般論を自分の意見に見せかけた感想を書いていたと思う。
でも、もう大人なのだから、感じたことをテンプレートに逃げずに言葉に表せるようにならなくてはならない。
そう思って帰りのバスでこれを書いている。
1.歴史を語れるほど知識はないけど
昨日まで22年間訪れたことのなかった国で、顔も名前もわからない多くの命が失われた。
もちろん事実として認識はしていたが、当事者意識とは未だ程遠く、現実味のない映画のような感覚を脳のどこかで抱いていた。
場内見学後の今も、まだ信じがたいといえば信じがたい。
名前の入ったカバンや靴を見て、「犠牲者」という括りを脱して一人一人に焦点を当てるきっかけも得た。入ったガス室から「出ていく」という行為に対して胸が締め付けられるような思いにもなった。
でも、そこから歴史を語るにはあまりにも知識が足りていないので、あくまで主語は自分に置く。
見学を機に、勝手にキーワードに感じたのは、優越感。自分自身のそれの抱き方を改めようと強く思った。
WWIの敗北、ベルサイユ条約の賠償金から世界恐慌と次々に追い詰められたドイツが国内の収容所に収容したのは、ユダヤ人や、ポーランドの"戦犯"だけではない。
恥ずかしながら今日まで知らなかったのだが、ジプシーと呼ばれた移動民族、障害者、エホバの証人、同性愛者なども集められたらしい。
ボロボロになったドイツ人のプライドを回復するために、不必要な存在や劣っている人を社会的に定義してしまうことで、自らの優位性を再確認したとのこと。
ガイドさんの言葉を借りれば、「社会にわざと階段を作って登れる人と登れない人を分けた」、と。
2.率直に、ただ感じたこと
自分を優れた人だと思い込みたくて、周りから認められたくて、勝手な尺度で下を決めつける。もちろん程度の差はあれど、「あいつよりはできてるから」と思うことで自尊心を保った場面など何度もある。
「普段の小さな区別や差別意識は、追い込まれたときに大きな火種になる」というガイドさんの言葉が強く印象に残る。
「なぜ差別をしてはいけないか」「なぜ少数派の権利を守るべきか」の説明として、自分の中で過去最もしっくりくる考え方だった。
いまは心の中の小さな感情かもしれないが、戦争、恐慌、何か有事の際に責任転嫁の大きな槍が彼らに向かい、悲惨な状況を生み出す要因になりうる。
その槍の一端を担ってしまう危険性もあれば、もちろん槍を向けられる可能性もある。
市中心部からバスに揺られること1時間半。たどり着いたアウシュビッツは田畑のど真ん中に突然現れるわけではなく、周りは家もお店もある小さな街だった。
かつて所長が住んでいたという一軒家も残っていた。ガス室から目視で確認できる場所に。
フィクションでもなく、隔絶された世界で行われたことでもないのを認識するのには充分だった。
普段通りの生活が営まれているすぐ隣、二重の有刺鉄線を挟んだ場所で信じがたいほど凄惨な出来事は起こった。
「世界から差別をなくすために」「二度とこのような悲劇を繰り返さないために」、そんな大きすぎる話はできない。
ただ、自分が時に抱く感情が火種となる可能性など今まで考えてもいなかった。
いつか理性で感情の爆発を制御できない状況に陥ったとき、大前提そうならないにこしたことはないが、この火種に火をつけない努力は今日からでもしなければならない。
アウシュビッツほどの大きな大きな出来事をここまで個人に落とし込むことが正しいのかどうかはわからないし、今後より学んでいく上であまりにも見当違いなことに気がつくかもしれない。
しかし、これが現時点での正直な嘘偽りない感想及びテーマであり、今の自分ができる最大限の消化だと思う。
クラクフ、本当に来てよかった。
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