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大竹伸朗展@東京国立近代美術館

2月某日。
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/shinro-ohtake/

とにかく圧倒的な展示。。
2月5日に幕を下ろした「大竹伸朗展」は、ここ数年訪れた展覧会のなかでも、抜群におもしろかった。

ともかく展示数が多い。
今回の大竹展は、若い頃から現在まで、会場の作品数は、大小合わせておよそ500点(なのだそうです)。
絵画から立体、インスタレーションまで、作家蔵、美術館収蔵の大量の、良質な作品群が一堂に介し、なんといえばいいか、ひとつの独立した存在、のようなものとなり、この幸福な展覧会を成功させていた、ように思えた。

ちなみに昨年のリヒター展は展示数、約110点。おまけに、1950年代初頭から現在に至る活動の中で、展示作品の製作年代が2000年代以降の作品に偏っていて、多少の物足りなさを感じた(そのぶん、公式カタログが充実していたけど)。

大竹伸朗先生展。今回、大量の作品にひとつの空間でまとめて触れて、じぶんは大竹作品について、何もしらなかったんだな、と思い知らされることとなった。

夜の露店のような薄暗い展示室内で、展示壁には絵画が、これ以上は掛けられないんじゃないかというくらい、ぎっしりとつりさげられ、ショーケースにはあやしげなコラージュ本がところせましと並ぶ。フロアには改造車や機械仕掛けの舞台セットなど。


もはや、立錐の余地のないほど、というのは大袈裟だけど、そう思わされるほどに、作品がつめこまれるように展示されている。

この、生き急ぐような空間のドライブ感が、大竹ワールドを炸裂させていて、びっくりさせられた。

作品の世界観がそのまま展示空間と化していて、大竹先生の作品をまとめて鑑賞するのは初めてだったけど、猥雑でありながら理知的な作品の魅力が、そのまま展示構成になっていた。

宇和島の発明おじさん(?)的な感じで、海風にふかれながらギターをつまびく姿の影に、制作の喜びと苦悩を作品につみこみながら、極限までつきつめられた精神の自由を作品化している感じがして、いい作品、いい展示をみせていただいたなあ、と思う。みんながきそうように展覧会をおとずれて、ほそながいビニール袋に入ったカタログをぶらさげて帰ってくる、のがよくわかった

そんなわけで、上野の鬼門から江戸城までのぼって、こんどはどこかな。。
帰りにたべた赤坂飯店の坦々麺の辛さが、鬼門封じになった気もする。今度はナス定食にしよう。。


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