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歩く

長女は今、高校3年生。
高校最後の夏休み。
大学受験をしたいという。


「高校に行け」「大学に行った方がいい」
そういう話を子どもたちにしたことはない。

ただ、やりたいことがはっきりしていないのなら、高校も大学も、「やりたいことを探しにいくにはいい場所だよ」と話すことは、たまにある。


長女は大学に行きたいと随分前から話していた。
そのための準備に、夏休み後半の時間を費やしている。



彼女は、将来やりたいことがなんなのか、どんな仕事がしたいのかなどは、はっきりしていない。

だけど、今やりたいことや、今好きなことは、はっきりしている。
それを大学で、もっとディープにやってみたいんだという。
大学でやりながら、将来やりたいこと、やりたい仕事が見つけられたらいいなと話す。
大学に行きたい理由としては充分だと思う。



今やりたいことや、今好きなこと。
これから好きになること、これからやりたくなること。

そんなものを重ねていった先に、彼女が喜びを持ってできるような仕事がいつか見つかるかもしれないし。
重ねていったこととは全くの別方向に見つかるかもしれないし。
最終的には見つからないかもしれない。

なんでもいいのかなと思う。


ただ、確実に言えることは、
「重ねたことは全部、彼女の味方になってくれるだろう」
ということだ。


頑張りたいタイミングが今、きているというのなら、頑張ってみたらいいと思う。頑張った経験は、一つも無駄にならない。

全部彼女が歩いた道として、彼女の中に残る。

そしてどんな道を歩こうとも、彼女の道だ。彼女だけの道だ。


私にできる応援はしたい。
「私にできる応援をする」ということは、「私のやりたいこと」の一つだ。




私に関して言えば、4年間もかけて美術教員になるための大学に通ったものの、結局美術教員で居続けることはなかった。

飲食店経験ほぼゼロからの、喫茶店開業。
奇跡的に7年半続いている。



私こそ、やりたいことだとか、何が好きだとかなんて、全然わからないまま大人になった。

子どもたちが居てくれたおかげで、なんとか生きる理由や、楽しく生きるぞという動機を保持できて、危うい時期をなんとか死なずに済んだけれども。

もし一人きりだったら、もっと早い段階で人生そのものをドロップアウトしていた可能性がかなり高いなと思う。

そしてもっというのなら、子どもたちのおかげで、生きる理由や、楽しく生きるぞという動機をなんとか持ち続けられたおかげで、今ならなんとなく、わかるようになった気がする。
自分が本当に好きなこと。やりたいこと。嫌いなこと。やりたくないこと。

でもそれも全部、生き続けてみて、動いてみて、経験を積み重ね続けることでしか、わかり得なかったんだなぁと。
振り返るとしみじみ思うわけだ。


子どもたちも、どんな道を歩いてもいいから、できるのなら心地よく楽しく、たくさん笑って、生きていてほしい。

どんな道でもいいから、自分の幸せの答えを、自分で見つけ続けながら生きていってほしいと、願ってやまない。


そのために、大人である私ができること。

私自身が私の脚で立って、私の人生を生き生きと生きている後ろ姿を見せることが、何よりも一番大事だとは思うけど。

彼女たちのためにできる手助けがあるのなら、これからも続けていこうと思う。もちろん、時々は「それは出来なあい!」と根を上げることもあるだろうけど。笑


彼女たちは、もう完成しているなとは思う。

自分の力で、自分を幸せにできる人たちだと思う。

ただそれでも、出しゃばりたいのだ。

この世界を、幸せに歩いていくのに必要な力を、少しでも多く身につけられるように。選択肢を与えること。手助けをすること。


それは、まごうことなき

私の喜びでもあるからな。


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