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「泣いたらうまくいくと思っている」なんて思っていないのだけれど│ひとりアドベントカレンダー#6

あかしゆかさんのこの記事を読んでずいぶん救われた。もう1年前の記事だということに気づいて、時間の流れの速さに戸惑っている。(殊、2020年の前半に関してはそうだった)

あかしさんと同じく私も、小さいころから、自分の大切な気持ちについて話そうとすると、涙が出てきてしまう性質がある。親や教師に叱られたときも、「自分はこう思っている、まずはそれを話したいからいったん聞いてほしい、待ってほしい」という気持ちを伝えようとすると、鼻と喉の奥に何か絞り上げるような苦い感覚がこみあげてきて、泣いてしまう。

そのたびに、「泣いたら許してもらえると思っとんがけ?」「叩かれたから泣いとるんか、叩かれたんが悲しくて泣いとんがか?」と畳みかけるように責められることで、さらに泣きじゃくってしまい、結局自分の気持ちを開示する機会をつかめなかった。そう言う経験が、あかしさんの上記の記事でいう、“自分の気持ちを抑圧している状態”を作っていったのだと思う。


修士2年のときの就職活動でも、その性質は各所で表れてしまった。

新卒の就職活動/選考活動の、ある種化かし合いみたいな駆け引きが私は嫌で嫌でしょうがなくて、面接試験を受けに行く各所の企業で、自分の思いを愚直に伝えようとした。初めて訪れる企業の面接官なんて、会ったそばから信頼関係も何もあったものではないにもかかわらず、である。

さらに私は、自分のやりたいことや気風と高確率でマッチするだろうとみていたいくつかの企業の面接官から、「自分の好きなことばかりできるとは限らないこの社会で、あなたは自分の知的好奇心のおもむくまま高学歴エリートコースの恩恵を享受してきたんでしょう? これからどうするの?」という趣旨の言葉をたてつづけに突きつけられていた。せっかく管理職・取締役クラスとの面接までこぎつけたのだから、自分の価値観や、実現してみたい社会のありようを素直に伝えたかった。そのうえでマッチ・ミスマッチを判定したい/してほしいと思っていた。

だが、その意思に反して思ってもみない角度から飛んできた鋭利な言葉に、私は純粋にショックを受けていた。そのショックでズタボロになった手負いの心を引きずりながら、一次面接の予定だけはぎっしりなスケジュールをこなしていたのである。

「これまでなんとなく継承されてきた仕組みややりかたにも、不合理だったり理不尽だったりする部分はやはり出てくるわけで、そういう部分に対して『なんかやりにくいな……』『もやもやするな……』という思いを抱えている人はたくさんいるはずなんです。でもなかなか言い出せずに諦めてしまう人もやはり多いはずで……この諦めという気持ちって一見消極的なんですけど、怒りとか憎しみとかの強い感情と同じくらい、人の心を着実に蝕んでいくと思うんです……そういう人たちに、諦めなくてもええんやで、他のやりようもあるよ?って、スッと手を差し伸べて、他のやりようや仕組みを与えられるような、そういうことを仕事でやりたいんです……」

こういうことを、一次面接に行っただいたいの企業の面接官に必死で話して(愚直にもほどがある)、そしてだいたいいつも話すたびに勝手に涙がこみあげてきて、「う……すみません」と話を途切れさせてしまっていた。「あ、あ、大丈夫ですかティッシュ持ってきますね──」と困惑した表情で立ち上がり、面接会場の会議室をあわてて出ていく面接官たちを何人も見てきた。「この子はどうしてこんな抽象的でこみいっためんどくさい話をするんだ、そしてどうして泣いているんだ、泣かせた私が悪いのか」という空気をひしひしと感じることも珍くなかった。

だが、困惑しているのはむしろ私のほうだ。泣けばお情けで合格するなんて微塵も思ってない。ただただ涙がこみあげてくるのを抑えることができない。ただただそういう性質なのだ(あかしさんの記事にでてくる「注意シフト」を身に着けていれば、もっとましな対処ができていたのかもしれないが……)。

それに、信じて何でも話せるような関係性なんてまだ一つも構築できていない面接官に対して、企業理念やビジョンとリンクさせながら自分の心の奥底の大切な思いを必死で伝えようとしているのに、届けようとしたすべての言葉が面接評価表からスルッと零れ落ちて水泡に帰してしまうかもしれないという想像が、私をひたすら無力でちっぽけな存在に思わせた。

だが、自分の気持ちを適当に取り繕って選考をクリアし、入社した後で何か違うな~と思いながら働くのは、私の望むところではなかった。何度も面接の経験を重ねていくうち、中には不思議と泣き出すことなく自分の気持ちをしっかり落ち着いて伝えられる企業もでてきた。「この人たちならまずは耳を傾けてくれるかもしれない、自己開示しても大丈夫かもしれない」という気持ちが無意識に働いたのかもしれない。そういう点では、自分の価値観や気風に近い企業にようやくめぐりあえたのかもしれなかった。

そして、そのような企業の中からいくつかは内定を貰い、そのうちの一社に入社を決めた。結果として、自分の節を屈することなくのびのびと働けているので、自分のこういう性質も悪いことばかりではないのかもな……と思い返したりしている。

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