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学びという災難

ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』の中で、視力を失いつつあるギリシャ語講師が生徒に「受難する、災難を体験する」という意味の動詞と「学んで悟る」という意味のギリシャ語が非常によく似ていることを指摘する。

実際、ソクラテスに何かを学び、悟ることは文字通り受難を意味しましたから。ソクラテス自身が生前にそう考えていなかったとしても、少なくとも彼を見守ってきた若いプラトンにはそう見えたでしょう。

ハン・ガン『ギリシャ語の時間』

ソクラテスの教えが受難なのではなく、世界が災いに満ちていることに気づく力を得てしまったことがプラトンにとっての受難だったのだろう。

私が常々思うのは、知ること悟ることはほぼ不可逆的に、物理的に、劇的に、瞬時に、人を変化させる劇薬のようだと思う。
何かを知ってしまったら、以前の自分には戻れない。

ずっと幸せだと信じて疑わなかった恋人が他の誰かと浮気をしていたことを知ってしまったとき。
ある芸能人の事件が延々とテレビで流されるとき、残されたほんの僅かな時間に脱税が事実上見逃された議員のニュースが流れることがどういうことを意味しているのか。
あの人気者の野球選手のニュースを盛大に流すために、大変小さく切り取られた時間の中で、遠くの地で虐殺されている無辜の人々の事件が小さく、そしてぞんざいに報道される意味は何なのか。

知って悟ることで世界の見え方が大きく変わってしまう劇薬だからこそ、どう知って、何を悟るのかは適切かつ慎重であらねばらないはず。
副作用もある。学ぶことは楽しいけど苦しい。
苦しいけど、今日も学ぶ。

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