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試験有効説は生存者バイアスではないかと思う件

noteを徘徊していると、日本特有のTOEICや英検の話がざんざか流れてきます。これだけ試験勉強が流行っているのに結果はというと

話せる人が少ないどころか得意なはずの試験ですら順位が低いです。なんということでしょう🤔(ちなみにTOEFLのレポートでも結果は大差ないです。)

それにも拘わらず、日本のインターネッツ上ではこれらの試験勉強を肯定的に見る意見が多数を占めているように私には見えます。

「TOEICで英語が好きになった」
「TOEICで基礎を身につけたから英語が出来るようになった」

みたいな意見をnote上で全く見ない日はないと言っても過言ではないレベルです。

そういう人もいるでしょう。それは確かです。

が、私はここでこう思うのです。

「逆に、『TOEICや英検の勉強が辛くて英語を止めた・嫌いになった』という人はどれくらいいるのだろうか?」

と。

普通に考えて、高得点になるまでやり続けた人はそのことをネットに書く可能性が高いでしょう。その人たちが肯定的な意見を書くことも想像に難くありません。noteやTwitterに英語学習について書くアカウント作ってても不思議ではありません。

その一方で、つまらなくて止めた人達はどうでしょうか。わざわざアカウントを作って熱心に英語やその試験について語るでしょうか? おそらく止めると言うにしても普段使いのアカウントにちょっと書いて終わりとかそんな感じだと思います。フェードアウトして気づいたらやらなくなってた場合はそんなことすらないでしょう。

つまり、ネット空間の英語界隈で目立つのは必然的に「試験で高得点を取れるまで勉強し続けてそれを発信しまくる層」であることになります。

ちょっと調べてみたところTOEICで800点を超えるのは大体全体の10%前後らしく、毎回9割弱はそれを下回るようです。この9割の中のどのくらいの人が止めたりフェードアウトしたりするかは分かりませんが、少なくとも800点超える人の割合よりは多そうです。

何が言いたいかというと、要はネット上に溢れかえってる「私は試験勉強をしたおかげで英語が出来るようになった」系の情報って完全なる生存者バイアスじゃないか?ということです。

生存バイアス(または生存者バイアス)とは、認識や思考の偏りを意味する認知バイアスの1種。認知心理学の用語であり、失敗した対象を見ずに、成功した(≒生存した)対象のみを基準に判断をしてしまうこと

https://mba.globis.ac.jp/about_mba/glossary/detail-20796.html#:~:text=%E7%94%9F%E5%AD%98%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%EF%BC%88%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%AF%E7%94%9F%E5%AD%98%E8%80%85,%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82

これは私個人の意見で何の根拠も裏付けもありませんが、ぶっちゃけ「大半の人はつまんなくて途中で投げるのでは?」と思ってます。

1450時間・・・

検索してる時にAIさんが↑みたいなこと言ってたんですが、語学が好きな私ですら「TOEICの問題集とか単語帳を1500時間とか何の罰ゲーム??」と思いますから、そこまで英語に関心がない人がこんな苦行をポンポン乗り切れるとはとても思えません。

仮にTOEICとか英検とか受ける人が10人いたとして、そのうち7人が苦手意識を持って英語そのものを避けるようになるとしたら、これはとんでもない悪影響であると言うしかないでしょう。この7人には試験勉強ではなく、他にもっと興味を持って出来る英語の活動がいくらでもあったはずです。

ちなみに私は8年前くらいに受けたTOEICが790点とギリギリ800点に届かなかったレベルですが(さすがに今はもう超えてると思いますが…)、勉強時間は0秒です。単に英語を普段使いした結果としてそういう点数になったというだけの話なので、AIさんが言うような「膨大な学習」をしたという感覚はないです。日々コツコツ学習した記憶もないです。

本当に試験勉強は必要なのか?という個人的所感

これから書くことはあくまで私個人の考えであり、試験が好きな人を論破してやろうとか否定してやろうとかそういう意図はありません。以降はその前提を理解した上でお読みください。


矢印は英語の習得過程、
赤い丸はTOEICでも英検でも何でもいいけど試験
左は普通に習得した場合、
右は試験勉強を挟んで習得した場合
の図

上図の通り、私のイメージでは英語を実際に使って身につけていく過程の中に試験対策を挟むのはかなりの遠回りになっています。私が思うに、試験でどれだけいい点取れるまで勉強したところで、最終的には実際に英語で何かを読んだり聴いたり、会話したりということをやらなければなりません。ならば、最初から左の図のように自分の英語能力を上げていって、その過程で自然に試験でいい点取れるようになるようにした方が良いのではないかと。

実践は試験とは全く違います。実際の英文には語彙数や文法項目の制限なんてありません。リスニングにしても実際の英語が常にクリアで聞き取りやすく話されているとは限りません。結局日本の英語試験で点数が高かろうが低かろうが、実践に突っ込めばある程度分かんなかったり失敗したりするのは免れ得ません。

海外には英語を使いこなせる人々が大量にいますが、彼らはTOEICも英検も存在すら知りませんから、別に英語を習得するためにこれらの試験が絶対必要ということもないわけです。リスニングやリーディングをしたければ今日日インターネットで何でもそろいますから、わざわざ日本国内で売られてる試験問題集に金や時間を投じる必要は特にありません。

そんなわけで私は英語試験の勉強が英語の上達にそこまで寄与するとは思っておらず、むしろそれを阻害する可能性があるとすら思っています。

考え方は人それぞれですから「そんなことはない、試験勉強は上達に有効だ」と思う方ももちろんいると思います。私はその意見に干渉しようという意図は一切ありませんので、激怒しないでいただけると助かります🙏

余談

さっきスマホからnoteを見た時に「嬉しいお知らせです!!」とか書かれたポップアップが出て来たんですが、中身全部読む前に一瞬で誤タップして消してしまい、何が嬉しいお知らせだったのか全く分からずじまいです。通知の内容がメチャクチャ気になりますが、アレ1回しか出て来ないから詰んでる🤔




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