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いませんでしたよ、いたら止まりますから。論点先取の誤謬

 論点先取の誤謬を説明する記事です。論点先取の誤謬をしないように、あるいは論点先取の詭弁に納得しないように。

1.詭弁・誤謬とは

 私たちは普段、理由に基づいて判断しています。

「お腹が空いたから、料理を作ろう」
「午前8時の電車に乗るため、朝7時に起きよう」
「絵の勉強をしたいから、美術科に進学しよう」

合理的な判断

 理由と判断の間に道理がある時、その判断は合理的と言われます。上記例はどれも理由と判断の間に道理があるので合理的です。どの判断にもおかしなところは無く、まともですよね。いずれの判断も「まあ、そんなところだろう」と思います。

 しかし、人はよく「直感的には合理的だけれど、よく考えると合理的でない」判断をしてしまいます。

「有名人が言っているのだから、間違いないだろう」
「昨日負けたから、今日は勝つだろう」
「大谷がいるからドジャースが勝つだろう」

誤謬を犯した判断

 この「直感的には合理的だけれど、よく考えると合理的でない」判断が誤謬と呼ばれます。上記例はすべて誤謬で、それぞれ「無関係の権威者に訴える誤謬」「ギャンブラーの誤謬」「合成の誤謬」を犯している判断です。
 私たちは意識的・無意識的に関わらず、合理的に生活しようとします。きちんと理由によって推測し、少しでも利得のある選択をして生活しようとする。けれど、思いがけず理屈に合わない判断をしてしまうものなのです。ついつい陥ってしまう非合理な判断を誤謬と呼び、この非合理な判断をわざとすることを詭弁と呼びます。詭弁は、意図的に相手を非合理な判断に陥れようとして使われます。例えば「昨日、話をしたらいい人そうだったし、付き合っちゃえば?」(不十分なサンプル)は詭弁です。

2.論点先取の誤謬

 ここからは誤謬の1つ、論点先取の誤謬について説明します。

(1)論点先取の誤謬とは

議論の結論として提示されているのと同じ主張を、明示的あるいは暗示的に前提として使うこと。

論点先取の誤謬の定義「誤謬論入門」

 判断を導くための理由は、判断とは別の判断でなければなりません。先の合理的な判断の例は、どれも理由が判断とは別の判断になっています。

「お腹が空いたから(理由)、料理を作ろう(判断)」
「午前8時の電車に乗るために(理由)、朝は7時に起きよう(判断)」
「絵の勉強をしたいから(理由)、美術科に進学しよう(判断)」

合理的な判断

 もし判断を導くための理由が判断と同じだったら、その判断は合理的とは言えなくなります。こんな感じに。

「料理を作りたいから料理を作ろう」
「7時に起きたいから、朝は7時に起きよう」
「美術科に進学したいから、美術科に進学しよう」

理由と判断が同じ

 自己中に感じるし、子どもが駄々を捏ねているようですよね。これは、判断に客観性がないからです。判断はそのままでは主観的です。「料理を作ろう」も「朝は7時に起きよう」も「美術科に進学しよう」も、どれも個人的な考え。これらに合理性をもたせ、他人にも納得できるように客観性が必要なんです。理由は判断に客観性をもたせるためのもの。判断は個人的なものなれど、それを支える理由が判断とは別の視点だと独断的で無くなります。しかし理由が判断と同じだと自己中さが消えず、客観性が皆無なのです。

 なぜ「論点先取」という名前なのかというと、初めから一方の立場に立っており、論点を先取りしているからです。判断は、中立的な立場でなされればこそ合理的です。「お腹が空いた」という中立的な事実が「料理を作ろう」という個人的判断を支えるから、「料理を作りたい」とは思っていない他人が聞いても納得するのです。判断が初めからどちらかに隔たっていると、合理性が薄れます。「料理を作りたいから料理を作ろう」では、初めから「料理を作る」という立場に立っており、議論する気など元から無かったかのようです。論点を先取りして最初から偏った立場にいるが故に「論点先取」なのです。

 論点先取は、日常の中では巧妙に隠されます。使っている本人も、論点先取に陥っていることに気づかないこともあるほど。例えばこれも論点先取です。

駐車場は空いてないと思うよ。皆んな車を止めてるだろうし。

「駐車場が空いていない」と「皆んなが車を止めている」は、ほぼ同じ意味。客観性を出して「駐車場は空いてないと思うよ」という判断に合理性をもたせるには、もっと別の視点に立った判断が必要です。それから、こんなのも論点先取となります。

:スポーツではサッカーをした方がいいよ。
:どうして?
:だって世界中で一番愛されているスポーツがサッカーなんだし。
:どうして世界中で一番愛されているスポーツをするのがいいの?
:ベッカムやロナウドみたいになりたいじゃないか!
:僕はそうは思わないな。
:いや、実際にサッカーをすればわかるよ

 Aは終始「サッカーをした方がいい」という立場に立っています。サッカーをした方がいいかどうか中立な立場で議論しなければならないところ、すでに論点を先取りしています。論点先取は循環論法とも言われ、サッカーの例のように判断と理由が堂々巡りになります。

(2)ぶつかってません。私はぶつかったら必ず止まりますから

 私は以前、警察官をしていたことがあり、その時に以下のようなことを言われたことが何回かあります。交通違反の取り締まり時の会話です。

:運転手さん、横断歩道で人が待っていたら止まってください。
相手:人なんかいませんでしたよ。
:右側に女性がいて渡ろうとしてたじゃないですか。どうして「いなかった」って言えるんです?
相手:人はいなかったですよ。だって私は人がいたら絶対に止まりますから。

取り締まり時の会話

 それからこちらは、交通事故現場での会話。

:運転手さん、事故を起こしたらちゃんと止まってください。
相手:私はぶつかってません。
:だってぶつかった痕があるじゃないですか。これでどうしてぶつかって無いんですか?
相手:だって私はぶつかったから必ず止まりますから。

事故現場での会話

 まず取り締まり時の会話から。相手の議論の論理構造はこうです。

人はいなかった。なぜなら、私は人がいたら絶対に止まるから。

 この議論は論点先取の誤謬に陥っています。中立な立場から理由を提示しなければならないのに、「人はいなかった」という立場で理由を述べている。それから事故現場での会話。この主張の論理構造はこう。

 事故を起こしていない。なぜなら、私はぶつかったら絶対に止まるから

 この主張も論点先取です。理由に客観性はなく独断的。別の視点からの主張を理由にもってくることで客観性が出るのですが、主張と理由が同じ視点。これでは他人を説得することはできないでしょう。

3.まとめ・おわり 

 このように、誤謬とはついつい陥ってしまう非合理な判断。それを意図的に使うと詭弁と呼ばれます。論点先取の誤謬とは、判断と同じことを理由で述べること。客観性のない議論を述べる誤謬です。論点先取の誤謬をしないように、あるいは論点先取の詭弁に納得しないように。




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