こわいって思うのは、生きたいってこと
"自分にはできない"
"自分はそういう人間じゃないから"
わたしのこれからの挑戦のことを話す流れで、その人自身の話を聞くことも増えた最近。
その中で聞くことが多いフレーズ。
ちょっとだけ、悲しいなぁって思ってしまう。
自分で自分に制限をかける必要なんて全然ないのにって。
その思考のブロック、どこから来たのかなって、一緒に考えたくなる。
いつもいつもその思考で過ごしてきちゃったから、思い込みは強化されて、それ以外の選択肢がそもそも浮かばなかったり、自動的に同じ思考回路を辿っちゃうんだよね。
自分の慣れた思考の外側に出ること、新しく行動を起こすことって、とってもこわいこと。
現状に不満があっても、もやもやを抱えたままでも、やりたいことがあったとしても、変わらないことのほうが安全と感じる私たち。
生き物にとっては、命があることが何より優先されることだから。
変わるってことは、どうなるか分からないってこと。下手したら命に関わるかもしれないと本能が判断してしまっているから。
狩りをしていた時代、命の危険が多かった昔。その頃から変わらない私たちの生態系が、今もそうさせているらしいね。
そんなことを思うなかでふと気づいた。
こわいって思うってことは、じゃあつまり"生きたい"ってことなんだなぁって。
私たちの本能が"生きたい"って叫んでるんだね。
何だかそう思うと、そんな自分や誰かのことが少し愛おしくなるのは私だけかな。
"生きたい"と叫ぶ命、その使いかた。
どんなことを感じながら生きていきたいか。
「自分にはできない」と言う、そんな自分もまるごと受け入れて、そのうえでどうしたいのか。
どうしたい?
問いかけ続けていきたいなと、そんなことを思った日曜日の夜。