見出し画像

「選択する力」サヘルさん通訳を経て


はじめに

新学期でばたばたしていたのを理由に、三日坊主にしていたnote。セルフケアの一環として、下書きに温めていていた、俳優サヘル・ローズさんの通訳をした時の話を書いてみようと、ふと思いました。(2024年7月13日修正済)

急に依頼された通訳

そもそも、通訳の経験がある訳でもないのにどうしてしろはの矢が私に立ったのか。それを語るには、私が当時所属していたインターン先の説明をする必要がある。

自身のセクシュアリティを通じての葛藤や、ポストデモ後に留学した香港での経験から、「人権」に対する意識が、ちょうど芽生え始めた大学3年の秋に、Human Rights Watchという国際人権NGOでインターンを始めた。

本インターンでは、事務的な作業も多く、少々性格的に大雑把な部分がある私は苦戦しながらも、周りに方々に支えられながら続けることができた。

さて、HRWでインターンを経験し、1番良かった点としては、衆議院や裁判・英国大使館などに「HRWインターンの○○さん」として参加できる点であった。国際会議等でどのような議論が行われているか、関心を寄せていた当時の自分にとってこのような機会を頂けることは、かなり有難い話だった。

サヘル・ローズさんの通訳も、ビッグなopportunityを常日頃与えてくれる、直属の上司であったHRW日本代表の土井香苗さんが「通訳、やってみない?」といった感じで、お声がけしてくれたのである。

引き受けてみたものの…通訳って想像以上に難しい…!でも後には引けない…

さて、通訳の依頼を2つ返事で引き受けてしまった、本番から1ヶ月前の私は正直、通訳は何とかなると思っていた。

しかし、本番が近づき、サヘルさんの過去の動画を参考にしながら逐次通訳を練習してみると、気づいてしまったのである…通訳ってかなりハードル高くないか…???

サヘルさんとは

ちょっとここで、サヘルさんの紹介を。

サヘル・ローズさんは、イラン出身の俳優で、1989年のイラン・イラク戦争により4歳に孤児となり、養母に引き取られたのち、8歳のころ来日。

読売オンラインより出典

そんなサヘルさんが、俳優業に携わり続けるモチベーションの1つには、「イランのイメージを変えたい」という思いがあるそう。(イラン=テロリストのイメージが根強く、そこを変えていきたいのだそう)

実はサヘルさんのことを「世界は欲しいもので溢れている」という番組の、「恋しいペルシャ 美の源流」回で拝見したことがあった。

その時は、まさか、テレビで嬉しそうにペルシャ絨毯についてお話しされている素敵な方が、これまで複雑な人生を歩まれていて、実に多くの壁を乗り越えてきた方であるか、知る由もなく。

そんな素敵な方だからこそ「ちゃんと通訳をしたい!」という気持ちと、「まってまって、私の通訳の能力じゃ全然無理だよ、、」の間で前日は、半泣きで、お話の中でピックアップされそうな単語などを詰め込み、練習をただひたすら繰り返してていた。

そんなかんなで迎えた当日

当日になり、妙に落ち着きと、根拠のない自信が湧き上がってくる朝8時ごろ朝から、びっくりさせられることが。

今回は、American School In Japan という調布に位置するインターナショナルスクールでの通訳だったが、電車で学校に向かっている途中、ふと顔を上げたら、目の前にはサヘルさんが…!!

自身の脳みその中では、いわゆる有名なタレントや芸能人の方は、身バレを防ぐために電車に乗らない方が多いと思っていたので、なんとまあ、朝からサプライジングな出会い方で、心拍数はギュインとMAXまで急上昇。

その後、電車を降り、インターナショナルスクールまで徒歩15分。

学校到着後は、素敵な先生に迎え入れられ、本日の会場に。そのホールは自分が想像してた何倍も大きく、照明機材も完璧に設置してあるのを見て、緊張を通り越して、半ばトランスじゃないけど、それに近い状態にいたかもしれない。もう、これはもうやるしかない。腹を括って、通訳を始めた。

サヘルさんの隣に立って

本番は早かった。30分の通訳だったが、スポットライトのせいだろうか、感覚が鈍くなって、一瞬で時間が経ってしまったように感じた。

サヘルさんは終始、温かかった。
もちろん今回の講演の主役は、サヘルさんだ。通訳である私は、サヘルさんを立てるために、一歩後ろに身を引いた。

するとすかさず、「隣にいましょ〜寂しいわ」とサヘルさんが声を投げかけてくれた。

私はかなり通訳するので一杯一杯で、会場をぼんやりと見つめながら話していたが、私が通訳している時にサヘルさんはうんうんと頷いてくて、微笑んでくれていた。それがすごく暖かかった。

他にも、通訳を終えた後にサヘルさんはこんなことを言っていた。

「会場の1人でも2人でも、刺さる子がいればそれでいいの」

それを聞いて、完璧な通訳を務めようと意気込んでいた私が、ちっぽけに見えてきた。完璧じゃなくてもいい、失敗してもいい。ありのままが、誰かの心に響くのだろう。

最後に、サヘルさんが最後にぎゅーっとハグをしてくれた。留学先で出会った、深いハグを毎回かわしてくれる、あるスウェーデンからの留学生の友人のハグと、それは似てた。信頼と愛情を示してくれる、そんなハグだった。

作って終わりじゃない

通訳後、インターナショナルスクールを案内してもらった。

1番鮮明に怯えているには、作品が一面に飾ってある廊下だ。

どの作品もいい意味で似通っていなくて。この学校では、みんながアーティストで、音楽でのアーティストもいれば、詩のアーティストもいる。それぞれが自由に表現できる環境がそこにあって、心底羨ましかった。

こんな作品もあった。
生徒それぞれが最近気になったニュースを選び、そのニュースを絵で表現するのだ。どんな話でどう感じたか、をそこで表現することで、社会との対話を生み出し、ニュースを自分ごと化することが目的だそうだ。

でも、私がそれ以上に作品作りで共感したのが、先生たちが目的としている「作品も作って終わりじゃない」というところだ。

先ほどのニュースを題材としたアートに関して、生徒は作品を作った後、そこからどうやってマネタイズできるかを考えるところまで、行うそうだ。すごく、考えられているな、と思った。

※余談だが、私が小学校の金賞・銀賞システムが、小学生の頃、すごく嫌だった。絵画コンクールで賞を取る絵は(自分の学校だけだったかもしれないが)常にタッチや、題材が似通ってて、出てくる人に表情や、メッセージも、私の目線からは「教科書通り」であったのだ。だからこそ、自由に表現することが、美しいとされる環境は、すごく天国のように感じた。

<通訳総括>

振り返ってみて、色々思うことはある。
通訳はもちろん完璧ではなかった。通訳中に、サヘルさんに「最後の部分をもう一度お聞きしていいですか?」などをお聞きしたし、全てを通訳するのは到底無理だった。

だけど、結果として、サヘルさんの思いを届けることができたのである。生徒に「来てくれてありがとう」と感謝された時は、胸がはち切れんばかりの嬉しさで溢れた。(まさしくcry with joy)

逃げることは簡単だ。心に「平穏(アタラクシア)」が保たれることで、余計な負荷がかからない。だけど、この「心のうごき」こそが、人生において経験するべき事であると、今回の経験及び、サヘルさんの話から学んだ事である。

席を譲ろうと思ったとき。
心がドキドキ。

負荷がかかるし、メリットもなさそうだから譲らない選択をするのは楽だし、防衛反応としてはとっても自然だと思う。

だけど、その緊張のどきどきは、嬉しいどきどきと同じくらい大事にしたいなと、思わされた。

学んだ教訓

最後に軽く、教訓について。

ひとつ目は、案外なんとかなるもんだっていうこと。

ふたつ目は、「選択」する経験をたくさん積み重ねられる環境を作ってあげたいって思ったこと。これは、自分自身に対してと、周りの人に対しても。

ケンブリッジ大学のBarbara Sahakian教授の研究によると、人は1日に最大35,000回の決断をしているとか。

自分の今の生き方は、それぞれの選択が折り重なった結果。まさしく、選択の結果が結晶となって表れているのだろう。

選んで、選んで、選んで。

意識的な選択もあるけど、その多くが無意識だろう。だからこそ、無意識な選択に、自覚的でいたい。そうしたら、人はもっと、自分らしく「選択」できるはずだから。

最後の最後に、今回の講演のテーマのタイトルだけ。「生きるとは、出会うこと」

人との出会いが、私を変えました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集