ペンパルとは
私の趣味は「ペンパル」だ。「海外の人との郵送を利用する文通」。ネット社会甚だしいこの時代にEメールじゃなくて郵便。私はかなりハマっている。
この時代に、わざわざ切手代を払って、紙とペンで書いて、届くまで1週間以上かかる。しかも、届いただけでは一方的な「送付」にしかならず、返事が帰ってきて「通信」、つまり「コミュニケーション」として成立するのは、相手が手紙を受け取ってすぐに返事を書いてくれたとしてさらに1週間以上はかかる。実際は、一ヶ月に一通どちらかが書くというペースが現実的だ。
アラフォーなら、「ペンパル」と聞いて、「昔『りぼん』とか『なかよし』で見た、『海外の友達に手紙を書こう!』っていう謳い文句のカラー広告あったな。お母さんにやりたいってねだったっけ」と懐かしい気持ちになる人もいるかもしれない。私もその一人だ。文通相手を見つけ、手紙を翻訳する、手紙を送付するというところをすべてやってくれるというのがあの広告の会社の仕事だった。
今は、SNSがある。Google翻訳もある。だから、文通相手を見つけることもそれなりには英語での手紙の読み書きもできるようになった(私も中学の頃よりは英語を学んだ)。SNSで文通相手を見つけておいて、そこからコミュニケーション手段が急に郵送になるという、よく考えるとちょっと面白いけれど、それがまたいい。
気の合いそうな人をSNSで見つけてメッセージを送り、お互いに軽い自己紹介をして、「じゃあ私が先に書くね! 続きは手紙で!」というような会話でオンラインの会話は終わる。シュールでしょ?(笑)
文字を手で書くことが好き、手書きの手紙には温かみを感じるなど、私がハマっている理由は、色々あるけれど、一番の理由は「自分に戻れるから」かなと思う。英語で書くという部分がかなりポイントが高い。正直なところ、日本人に手紙を書くのは英語で書くより疲れる。なぜか。日本語ははっきりと言い切ることを避ける言語だから。例えば、質問するときの言葉一つとっても、「〇〇ですか?」、「〇〇でしょうか?」、「〇〇ですよね?」などなど、全部質問だけれど、印象としては微妙に違う。受け取り方も千差万別なのは言うまでもない。もう、手紙の出だしの元気かどうかを尋ねる文章さえ書けなくなりそうな気がする。
英語はその点、とてもシンプル。伝えたいことの主旨に神経を集中できる。言い切ることができる文章は、受け取り方もそのまま。誤解が存在しないことはもちろんないが、言葉尻で印象が悪くなって損をするということはまずない。
細かいことは気にしなくていい。思いやりは思いやりのまま伝わる。私は私でいられるし、いていい。それを思い出させてくれるのが海外文通だなと私はつくづく思うのである。
私を思い出すために、誰かに手書きで心を込めて手紙を書く。逆説的だけれど、これって、かなり効果的なセラピーでもあったりするのだ。