アパレル店員は「声出し」という魔物に取り憑かれている
疲労の末によくわからないことを言ってしまったり、おかしな行動をとってしまった経験はあるだろうか。私は日常茶飯事である。
とくにアパレル時代は、「お買い上げいただいた商品を一枚も入れず、丁寧にテープだけ貼ったショップ袋を笑顔で渡そうとした」とか「忙しすぎて口が回らなくなり、“はい”と“いえいえ”が混ざって『イエイ!』とお客様にむかって言ってしまう」など、思い出すと頭を抱えてのたうち回りたくなるような記憶ばかりだ。
なかでも、はっきり覚えているやらかしエピソードがある。
皆様は「声出し」というのをご存知だろうか。
アパレルショップでよく聞く、「いらっしゃいませ~どうぞ店内奥まで、ごゆっくりご覧くださいませ~」というアレだ。
新人アパレル店員が店頭に立つようになってからやることの、ベスト3に入るものだと思う。
あまりに何度も言いすぎて、休みの日も出かけた先の店でつられて「いらっしゃいませ!」と叫んでしまったり、仕事中に向かいのテナントからお客様が買い物を終えて出られるのに反応して「ありがとうございました!」と叫んだりした。職業病すぎる。
とくに、SALE期間中はこの声出しを強化する。
その目的は「店内の活気づけ」と「SALEをお客様にアピールするため」だった。(最近はやらないお店が多いかもしれない)
お客様が多い大型連休はアピールの場なので、ここぞとばかりに「店内アイテムがレジにてさらに20%オフでーす!」といった声出しを一日中することになる。
その日も私は、先輩から「元気に笑顔で声出しお願いね」との指令を受けたため、淡々とお客様を呼び出すペッパー君のように一定のリズムで声出しを続ける“声出しbot店員”と化していた。
しかし、声出しbot店員の役割はそれだけではない。
商品整理をしつつもペッパー君さながら店内を巡回し、常にあらゆる場所に目を光らせなければならないのだ。
ご試着室のお客様の気配を感じればフィッティングルームへ瞬足で走り、レジに進むお客様の気配を察知すれば、光の速さでレジに走る。
「ありがとうございます!お預かりいたします」
いつも通り笑顔でお客様から商品を受け取り、軽快なリズムでレジを打つ。
この間にも、店内には個性あふれる“声出しbot店員”たちの元気な声出しが響いている。
さらに、お店全体に目を配るのは声出しbot時だけではない。
レジの最中にも、フィッティングルームの近くに他のスタッフが気づけていないお客様はいないか、レジ列は乱れていないか、ぬかりなくアンテナを張りつづける必要がある。
私は当時入社2年目に入ったところで、若干の心の余裕と油断と慣れと新人への先輩風と、つまるところ、ちょっと調子にのっていた時期だった。
「プロとして店頭に立っているからには、しっかりとアンテナを張り巡らさなければ!」と意気込み、そのアンテナを管轄外にもニョキニョキと伸ばしてしまったのだろう。
お会計を終え、お客様に商品をお渡しする。
レジから一歩出て、心を込めて、相手の目を見て、笑顔で、ハキハキと。
「いらっしゃいませ!どうぞごゆっくりご覧くださいませ!」
(訳:大変お待たせいたしました!ありがとうございます、またお待ちしております!)
時が、止まった。
あのディオ・ブランドーの有名なスタンド、「ザ・ワールド」をもぶち破る勢いで、私とお客様の空間だけ、確実に時が停止していた。
「いらっしゃいませ!どうぞごゆっくりご覧くださいませ!」たった今レジでお会計をさせていただき、後は気持ちよく帰るだけのお客様に、たしかに私はそう言った。
しかも、目を見て、笑顔で、ハキハキと。
寸分の狂いも迷いもなく。
だるまさんが転んだ!と誰かに言われたかのように固まるお客様と、満面の笑みの店員。
自分が放った言葉を理解して、ブワッ、と全身の穴という穴から汗が噴き出す。
「あ、ああ…そうね、またゆっくり…」「ハイ!!!」
気まずそうにしながらも気を遣ってくださったお客様に対し、あろうことか歯茎丸出しの笑顔で食い気味に返事をする。自分でも何を言っているのか分からない。
いや、ハイじゃねんだよ。たった今お買い上げいただいたのに「どうぞごゆっくりご覧ください」ってなんだよ。売れ筋商品ベスト10、全部正解するまで帰れまテンみたいになってるじゃんかよ。どんな店だよ。
数分前「プロとして~」とか偉そうに思っていた自分が恥ずかしい。
穴があったら入りたいし、なければ掘るので埋めてほしい。
お客様の後ろ姿を笑顔で見送りながら、背中には冷汗がダラダラと流れて止まらない。ゆっくりと振り返ると、見たこともない顔でこっちを見る後輩と目が合った。やんのかコラ。
「先輩…声出しにつられましたね?」
お見通しかよ。
この記事が参加している募集
サポートしていただけると、切れ痔に負けずがんばれます。