砂漠のお城

おじさんの男旅に憧れる。全てをやり切ったもの同士が、なんとか友情を繋ぎとめた先に談笑する姿に。海岸沿いで沈みゆく夕陽を見ながら酒を飲んでいる後ろ姿からは、自信と安堵感がにじみ出ている。

集まる場所はハワイがいい。ハワイ島に行って、夕方から望遠鏡を担いで小さな丘に向かって歩く。ハワイといっても山は寒い。分厚いジャンパーと頭にはニット帽、手には厚手の手袋をしている。夕日が地平線へと隠れると、あたりは静寂の闇に包まれる。丘の上には、木でできたちょっとした展望台がある。各人が持ってきた椅子を組み立ててコーヒーを作るためのお湯を沸かす。持ってきた大きな望遠鏡は目が飛び出るほど高価だ。ただ、彼らはそれ以上のお金を稼いできた。死ぬまでにお金を使い切るほうが難しい。

彼らの人生には多くの困難があった。眠れない夜があった。溢れる涙を堪えきれない日もあった。彼らの人生は途中から全く異なるルートになった。始まりは同じだったが、それぞれ住む場所も、職業も、家族構成も、酒のつまみの好みさえも変わってしまった。それでも、彼らには違いを楽しむだけの余裕があった。納得しながら一歩一歩自分の足で前に進み、数えきれない成功を収めてきた。彼らは、旅の途中で出会った奇妙な出来事や、困難を冗談混じりに話す。夜空を見上げると、一生かけても数えきれない満点の星が輝いている。


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先日、田舎の小さな温泉街にいった。海の近くにあったその温泉街には、宿やホテルが点々と存在していた。長年、潮風に当たり続けた建物は色がくすみ、街には片手で数えられる程度の人しか歩いていなかった。日本の温泉街は、本当にこうゆう風景が増えてきたと思う。この物寂しさを哀愁だと言い聞かせなけばならない時代がすぐそこまで来ているようにおもう。

宿泊先の旅館には、おじさん集団がいた。ロビーで楽しそうに談笑している。僕らは一度、温泉に入って汗を流してから夕食の会場に向かった。会場には、ロビーで会ったおじさん集団と若いカップルが近くに座っていた。おじさん集団は、すでにビール瓶を何本も空けて顔を赤らめていた。浴衣の帯もほどけつつある。席について気づいたが驚いたことに、彼らは驚くべきボリュームで下ネタを言っていた。コンパニオンがどうだとか、誰かと誰かがどうなっただとか。隣に座っていた若いカップルは、居心地の悪そうにご飯を食べていた。もしこれが、二人がバイトでなんとか稼いだ泣けなしのお金を持ち寄って、夜も眠れなくなるくらい楽しみにしていた旅行だったら、と思うと心が痛んだ。僕も、次にどんなフレーズが飛び出すのかとドキドキしていたので、ご飯の味が全くしなかった。


おじさんの男旅はまったく良くない。

紆余曲折あった後に、やはり我々は生き物なのだという答え合わせの場所にしかならない。それから若い芽を潰す愚行である。だれにも迷惑がかからない場所を選べばいいじゃないか? 今の考えのままでいれば、よい旅になるんじゃないか?そんな配慮も価値観も忘れてしまうだろう。

砂漠に建つお城は、時間が経つとゆっくりと砂に埋もれてしまう。初めは埋もれていることに気づいているが、次第にお城があったことさえ忘れてしまう。いや、もしかすると不自然に盛り上がった砂丘を見てお城を思い出すかもしれない。でも、きっと僕らは悪びれることなく、今の形の方が芸術的だと言い張るのだろう。今は、それに絶望している。

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