私の推し貴族紹介(簡易版)
大学時代教室で貴族日記を読んでいたら「貴族日記って面白いの?」と聞かれたので、「貴族に萌えられれば面白いと思うよ」と答えたところ、ドン引きされた過去を持つ女です。こんばんは。
今日は何を書こうかな~と、昔のデータを漁っていたら、大学在学中、身内に紹介するために書いた「私の推し貴族紹介」が出てきたので、ちょっと修正加えてまとめてみました。
ちなみに平家は外してあるのと、大学在学当時はまだ公任さんの魅力に気づいてなかったので、公任さんはここにはいません……当時の私節穴すぎる……。
☆の数は私の主観でございます。
【藤原成通】
時代:白河・鳥羽・後白河の三代に仕えた貴族。
イケメン度:☆☆☆ ※美男ともブ男とも聞かない。普通? 弟の方がイケメンらしい
性格:☆☆☆☆☆ ※複数の文献で性格がいいと褒められている
能力:☆☆☆☆☆ ※貴族に必要なことを全て得意とする超人
日記:『成通卿口伝日記』
※主に蹴鞠のことについて。蹴鞠の精に会って加護を約束されたらしい。以下はそのときの会話抜粋。
成通「何者だ」
???「蹴鞠の精です」
成通「蹴鞠は常に行われるものではないが、行われていないときはどこにいるのだ」
蹴鞠の精「蹴鞠のないときにはきれいな所の木に住んでいます。蹴鞠が好まれる世は、国が栄え、立派な人が出世し、福があり、命が長く、病なく、来世までも幸せになるのです」
成通「国栄え、出世し、命が長く、病なく、福があることはいいとしても来世までもというのは言いすぎだ」
蹴鞠の精「鞠をする人は、鞠のことより他に考えることがないので、功徳がすすみます。必ず鞠をお好みになるべきです」
成通の非現実的な存在への現実的な質問と、蹴鞠の精の突然の蹴鞠万能説、からの蹴鞠中毒な割に意外に冷静なツッコミと蹴鞠の精のそれっぽい説が見所。
逸話:蹴鞠大好きで、身軽な天才。清水寺の舞台の欄干をリフティングしながら往復したり、壁を走れたり、人の肩の上を歩きながらリフティングしたり、牛車の間に落ちる鞠も完璧に拾ったりする。でも意外と努力の人で、7000日も蹴鞠グラウンドに立ち、うち2000日は連続だったという。そして、家の中でもリフティングし、病気の時も寝ながらリフティングしていたという。屋根の上を転がって、軒の所で座って止まるという意味分からん行動もしちゃう不思議ちゃん。しかし、誰に聞いても性格が良いと言われていたそうです。
所感:蹴鞠の達人として有名な人です。逸話は書ききれないくらいあって、本当に面白い人。蹴鞠の精に会ったときの冷静なツッコミが大変魅力的。困っている人には手を差し伸べ、失敗したときには素直に反省する良い人。後日また成通だけの記事も書きたいところ。
【藤原行成】
時代:かの藤原道長と同年代。死んだ日も同じだったので、当時あまり注目されず不憫。
イケメン度:☆☆☆ ※行成の容姿はあまり言及されないけど、面食いの清少納言が反応しているのと、父が絶世の美男子なのでおそらくイケメンだろうと個人的に期待しています。
性格:☆☆☆ ※真面目で正直なんだけど、当時にしては珍しく全く空気を読まない。だがそれがいいという人も多かったみたい。あと、日記に人の失敗よく書いてるのはどうなんだろう。
能力:☆☆☆☆☆ ※父が早世したため、能力と人望で出世した人。天皇や道長に信頼されていた。
日記:『権記』…検非違使の仕事に関することや、行事の作法に関することなど、必要最低限のことを簡潔に書いているが、人の失敗についての記述が割と多い。自分より立場が上の人でもおかまいなし。特に印象的なのは「(失敗を見て)公卿で口を覆わなかった者はいなかった」という記述。まさにおじゃる。無地の扇子に日記のネタをメモしていたらしく、一度メモを書いた扇子を息子が宮中に持って行ってしまい、居合わせた人たちに見られてしまったことがあるらしい。知らない貴族に突然殴られたという記事もある。
逸話:行成の逸話は教科書にも載っています。字は上手かったけど和歌は全然駄目で、それについて周りの貴族にからかわれたときに空気をぶっ壊して話を変えさせたとか、他の貴族が幼少の天皇に趣向を凝らしたおもちゃを差し上げる中、一人だけシンプルだけど上品な独楽を差し上げてお気に入りになるなど。雨に濡れながら風流に歌を詠む貴族(藤原実方)に対して「まあ確かに風流かもしれないが、あいつは馬鹿だな」と発言したこともあります。女性に対しても、おかたくて愛想が無い人だったということで、あまりモテはしなかったっぽいですが、清少納言とは気が合ったそうです。自分の世界を持って、相手に媚びないという点で似ているかもしれませんね。
所感:「公任さん」の方でも触れているのですが、改めて。日本史で出てくる三蹟の一人で、世尊寺流の祖。祖父は太政大臣だったため、父が長生きしてくれていたら、道長のポジションが回ってきたかもしれない人。ちなみに父は絶世の美青年だったといわれる人なのですが、流行病にかかって20代で死んでしまいました。顔にあばたが残ってしまったために自殺したと言う話もありますが、それが本当なら切ないですね。祖父の養子になりますが、その祖父も数年後に死んでしまうので、政治的後ろ盾が無くなってしまいます。みんなで蹴鞠をしていて、鞠が遠くにいってしまったとき、藤原公任に「父が大臣じゃない人が拾いに行けばいいじゃん」と言われて悔しがったという話も残っています。人の失敗についてつらつらと書いていたのは、彼のプライドというか、彼なりのストレス発散だったんじゃないかなあと思います。基本的に真面目で優秀な人であったため、天皇や道長など偉い人からは大変好かれ、周りに引っ張りあげられて出世しました。多分、裏表が無く、信頼できたのでしょう。
【藤原頼長】
時代:平清盛と同年代くらい。鳥羽・崇徳に仕えた人。
イケメン度:☆☆☆☆☆ ※複数の文献で美男子であったことが書かれている。
性格:☆☆☆ ※基本的に真面目なんだけど、遅刻してきた貴族への罰として家を燃やしたという、いわゆる「おめーの家ねーから」はやりすぎである。
能力:☆☆☆☆ ※頭は良いし仕事もできるんだけど、保元で負けたし、何か惜しい
日記:『台記』……自らの男色について包み隠さず事細かに書いている赤裸々な日記。本当に価値のあるのはそれ以外の部分なのですが、男色のインパクトが大きすぎる。
逸話:子どものときは鷹狩りがお好きだったというおぼっちゃま。母の身分はあまり高くなかったようですが、母の実家と仲が良かったようで、おばあちゃんの家によく遊びに行っていたそうです。また、猫好きで、飼っていた猫が病気になったときに治るよう一生懸命お祈りしていたという可愛い一面も。鷹狩りで大けがしてから、狩りに行くのはパタッとやめ、ガリ勉して超優秀な官僚になります。お風呂中も勉強していたそうです。また、読書好きで、所蔵していた本を全て分類して整理していたといいます。異母兄の忠通は達筆で歌才にも恵まれていましたが、頼長はそうでもなかったようで「詩や管弦など政治と関係ないことはやらない!」と日ごろから宣言していたそうです。字もわざと下手に書いていたということですが、残っている史料を見ると丸っこい字でかわいいです。罪をつぐなわないままに恩赦で解放された犯罪者を随人に殺させるという、デ〇ノートみたいなこともします。その随人の秦公春が一番の恋人で、お互いに愛し合っていたようです。
個人的には頼長の男色話はちょっと生々しくて苦手だったのですが、『古今著聞集』に、
二人が喧嘩したときに頼長が公春を叩こうと手を上げたところ、公春が頼長の手をつかんだ。反抗されると思っていなかった頼長が驚くと、公春は「あなたに私をぶたせるわけには参りませんね」と言い、頼長は謝った。
みたいな逸話があって、私も公春にときめきました。頼長は他にも美少年から木曾義仲のパパまで色んな人と関係を持っています。義仲のパパは何やってんの。
解説:藤原摂関家の出ですが、めちゃめちゃお兄ちゃんへのコンプレックスがある人。父の忠実が年をとってからの子ということもあり、大変可愛がられていました。なんでもかんでも日記に書く。ヘンな人なんですが、よくも悪くも真面目な人で、色々と損をしている感じ。他人だけでなく自分にも厳しい人。迷信は信じないタイプで、最愛の公春が病で死んでからは神も仏も信じなくなったとか。結局、宮中で色々過激にやりすぎちゃって、先祖伝来の朱器台盤(食器セット)を強奪したことからお兄ちゃんからも嫌われちゃって失脚。崇徳院と組んで保元の乱を企てるも負け、流れ矢に当たって瀕死のけがを負います。貴族なのに流れ矢に当たるなんて相当運が悪いです。最期に父に会いたいと屋敷に行きますが、保身に走った父親は頼長を門前払いし、頼長は絶望の中自殺してしまったということです。かなり可哀想な人だと思います。母方の従兄弟に看取られたのが唯一救いかな。
【藤原成親】
時代:後白河天皇に仕えた。清盛の息子の重盛と同い年です。
イケメン度:☆☆☆☆☆ ※正統派美青年で後白河天皇のお気に入りだったよ
性格:☆ ※この時代での性格の悪さはピカイチ★ でもなんか憎めない人ではある。身内には優しかったようで、不思議と妻子からは慕われている。
能力:☆☆☆ ※実務能力は優れていたらしいが、特に優秀であったというほどでもない
日記:残っていません。あったら面白そうなのになあ。
逸話:平治の乱では、相方みたいな存在の藤原信頼に(多分)逆らえず、平家の敵に回るが、妹が重盛と結婚していたため、重盛の助命嘆願により許される。重盛が宮中に上がって間もないころは、よく声をかけたり、色々教えてあげたりしていたらしい。自分の娘を天皇の女御にし、孫が天皇になることを狙っており、実際に娘に後白河上皇からラブレターが来たときに大喜びした。しかし、娘は好きな人がいたので、手紙を無視。怒った成親は娘を蔵に閉じ込めますが、娘の思い人が平家の嫡流維盛と知り結婚させた。その後特に問題なく平家とつきあいますが、重盛と宗盛(清盛の三男)が左右の大将に就任したことから平家をガチ恨み。お百度通いをするなど呪術的な方法で平家を呪うも、ことごとく失敗し、ついに鹿ケ谷の陰謀を企てます。が、貴族のちゃらんぽらんな計画とダジャレにドン引きした武士の密告で発覚し、清盛大激怒。重盛の嘆願で即死刑は免れるも、流刑先で処刑されてしまいます。
所感:人生については逸話のところで書いたので、あまり言うことはないですが、二択を間違えるイメージがある。後白河天皇は今様が大好きで、喉がつぶれるまで歌っていたほどでした。(現代で言うと毎日カラオケでJ-POPを歌っている感じです)その点、成親は今様の名手だったということで、後白河の好みにどんぴしゃだったわけですね。奥さんも後白河上皇のお気に入りで、娘にも後白河からラブレターが来たということで、なんだか後白河上皇から矢印出まくりな家族です。後白河上皇は肥満男から美少女まで、ストライクゾーンが幅広いです。成親が流刑先で死んだという知らせが都に届いたとき、妻子を始めとして、結構多くの人が悲しんだということなので、悲しんでもらえるだけの人望はあったようです。決して性格が良いとは言えませんが、典型的な貴族気質で、空気は読めるし、気がきくし、イケメンだったので、距離を置いてつきあうと丁度いい感じの人だったのかもしれませんね。大河では吉沢悠さんの成親がかっこよくて大好きでした。
バレてるかもしれませんが、ちょいちょいdisってますけど私は成親がとても好きです。
【藤原兼実】
時代:後白河天皇から土御門天皇まで結構長く仕えてました。頼朝にも接近した。
イケメン度:☆☆☆ ※兼実の容姿も謎だが、多分普通? 叔父の頼長はイケメンだし、父の忠通もモテたみたいだからイケメン寄りな気もするけど……イメージ的にはどちらでもない感じ。
性格:☆☆ ※悪い人ではないが面倒くさそうなので友だちにはしたくないタイプ
能力:☆☆☆☆ ※大臣職をしっかり務めているし、頼朝にも重用されていたので仕事は出来る。でも、後にクーデター起こされて失脚しちゃった。
日記:『玉葉』…史料としても読み物としても神日記。個人的に、一番好きな貴族日記である。大事なことから人の噂話まで幅広く書いているが、頼長よりは常識的なので、安心して読める。(頼長は自分で編集する前に事故死してしまったので比べるのもかわいそうだけど)
平重衡が南都を焼き討ちしたときは、天を仰ぎ地に臥して絶望の涙を流したらしい。人の事を「甚だをこ(現代語訳:超馬鹿)」と言うし、自慢は包み隠さないし、「体調悪くて早退したけど、これは内緒だよ」と子孫向けに書いちゃう、そんな人。
逸話:摂関家ではあるが意外と苦労人。
まだ十代の頃、式典に着て行く服を確認しに行った時、上司に聞きに行ったらAの着物を着て行くように言われた。兼実はBを着て行こうと思っていたが、上司に言われたのでAを着て行くと、周りの貴族はみんなBの服だったという話がある。いじめられたのか、上司が流行に疎かったのかは謎だけど、悔しかっただろうなあと思います。
また、三日後の春日祭の祭司に突然任命された人が、時間がなくて兼実邸に相談に来た時は、翌日には祭祀用の着物を送ってやるなど助けてあげており、よく貴族仲間からの相談に乗っていることから、口うるさいけど面倒見は良かったのかもしれない。
所感:16で内大臣になったときから日記を書き始めたらしい。内大臣に任命されたときに、父は既に他界していたため、近しい人に細かいことを聞けなかったことから日記を書き始めたんじゃないかなあと思っています。日記に歴史史料としての価値が高いため、日本史でも国文学でもよく使用されます。平家の時代のことがいろいろ書かれているので、平家研究の際にも重宝します。『訓読玉葉』という書き下し版も出版されているのがありがたい
以上、いかがでしたでしょうか。
長くなったので半分に分けようかとも思ったのですが、一気にやっちゃいました。ちょっと読みにくかったらすみません。みんな逸話が面白く、成親以外は日記があるのでそれも併せて大好きです。