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もしも平安時代にディヴィジョンバトルがあったら
過去記事にも書いたことがあるのだが、私はヒプノシスマイクが好きだ。
ヒプノシスマイクとは、声優さんを起用した音楽中心のラッププロジェクトである。今はメディアミックスもされていて、アニメや漫画、アプリゲームにもなっている。実際にファンがCDを買って好きなディヴィジョン(3人1組のチームのようなもの)に投票するシステムもある。
公式サイトはこちら。
友達にもよく布教しているのであるが、先日、友達が、「平安時代でヒプマイみたいにバトルするとしたらどんな感じになるのかな?」と言ってくれたことをきっかけに、もしディヴィジョンがあるなら……と考えてみた。
和歌でバトってるのを見つけられたら面白かったのだけれども、雅な和歌でお互いにdisり合いするのはなかなか見つけられなかった。(探したら有りそうな気もする)基本的には和歌バトルするときは、歌合(うたあわせ)と言って、どちらの和歌が優れているのかを競うやつなので……。
その代わりにというか、鴨長明の『無名抄』の中で、異なる門下同士のdisり合いを発見したので、そちらをご紹介。ちなみに平安と言っても結構末期なので、公任さんの時代とは100年くらい違う。
こちらでバトっているのは、藤原基俊率いるMOTOTOSHI ディヴィジョンと、源俊頼率いるTOSHIYORI ディヴィジョンである。ラップの歌詞は私が考えましたので、あたたかい目でご覧ください……。韻<内容ということで(言い訳)。
藤原基俊も源俊頼も百人一首に掲載されている歌人で、弟子がいっぱいいる。年齢的には、俊頼の方が5歳くらい上らしい。
基俊ディヴィジョンの強いところは、弟子に藤原俊成(定家のパパ)がいるところだと思う。俊頼ディヴィジョンは現代のネームバリュー的には鴨長明だけれども、歌人としては俊恵法師が強そう。ちなみに俊恵法師は俊頼の息子である。そして、筆頭の俊頼さんは歌論集を出しているので、本人もだいぶ強い。
ただし、注意点としては著者の鴨長明がTOSHIYORIディヴィジョンに所属しているので、『無名抄』では大体TOSHIYORIディヴィジョンの方が勝ってる感じで書かれている節がある。
今回のバトルに関しては、原文は以下である。
ある人いはく、「基俊は俊頼をば蚊虻(もんもう=文盲=漢詩に疎い)の人とて、『さはいふとも、駒の道行くにてこそあらめ』といはれければ、俊頼は返り聞きて、『文時・朝綱詠みたる秀歌なし。躬恒・貫之作りたる秀句なし』とぞのたまひける」
(鴨長明『無名抄』 参考文献→角川ソフィア文庫『無名抄』訳註:久保田淳)
意訳すると、
ある人が言うには、「基俊は俊頼よりが漢詩に疎い人だとして、「そうは言っても、老馬が覚えている道を歩いて行くのと同じようなものだろう(=漢詩も知らないんだから、あいつは経験でなんとかやってるだけだろう)」とおっしゃったのを、俊頼がまわりまわって聞いて、「菅原文時や大江朝綱が詠んだ秀歌はない。凡河内躬恒や紀貫之が作った秀れた漢詩はない」とおっしゃった」
となります。
基俊の方が言っている「駒の道」というのは、韓非氏とか後撰集にある故事にある「老馬が道に迷わないように老人は経験で物事によく通じている」ということを指しているのだそうで、その一言にも自分の知識を混ぜ込んでるんですね。ヒュウ。
一方で俊頼はシンプルに真理をついている感じ。漢詩を極めている人が優れた和歌を詠んだ記録はないし、和歌を極めている人が優れた漢詩を作った記録もない。和歌で優れた歌を詠むのに漢詩も極める必要はないんだ、的な。
一応、自分に漢詩の知識がないのは認めているんですね。謙虚というか、事実だから仕方ないか的な感じでしょうかね。
この二人(のディヴィジョン)は、『無名抄』の中で結構バトってる話が出ているので、また他のも紹介していきたいと思います。ラップも頑張って考えるぞ……。
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