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生きていれば、どうしようもないことがある
日常の人間関係の中でも、分かり合えない相手は必ず存在する
人間不信を経験してきた僕は、その反動で優しくされたら相手を簡単に信用してしまう脆さも併せ持っている、ということも自覚しているつもりではある
信じては裏切られる、そんなこともある
そうすると、元の僕に戻っていく
「人は信用できない」と
これはここ数年の間に経験し、今も闘い続けている進行中の出来事だ
心を乱され、その場から逃げ出したくなる衝動に駆られる
しかし一方で、こんなものは僕が過去に受けた傷と比べたら、屁でもないと思う信念があるのも確かだ
ここで印象に残っているものとして、手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』のOVA版第2話「葬列遊戯」を挙げておく
詳しくは本編を見てもらいたいのだが、ブラックジャックの台詞にこんなものがある
「私の中にはこんなものには負けない部分がある、絶望や死を何度も越えた、ブラックボックスがあるのだぞ、と」
「そのブラックボックスが私に命令する、ここで降りてはいけない」
この言葉、聴いた当時から、僕の心に深く残って忘れられないものになっている
それくらい僕が過去に受けた傷は大きなものであり、僕を奮い立たせる、生き方の原点になっている
前の記事で、僕は優しさを大切にして生きていたいと言った
信じられる人、大切だと思う人には、素直な気持ちで「ありがとう」を伝えたいと思っている
通用しない相手にまで捧げる必要はないが、だからといって陰口は言わないし、言いたくない
そういうのを見聞きする度に、絶対にこうはなりたくないと自分の胸に誓う
それで復讐は済ませることにしている