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カウンセリングの入口

誰だって心を病む時はある。
みんな一生懸命生きてるから。
それ故に、頑張り過ぎたり、我慢し過ぎたり。

原因は1つではないと思う。
ずっと心というか、脳というか
潜在意識というか。
そこに溜まり続けてるのだろう。

私は占いの仕事をしている。
占いは子どもの時から好きだった。
友達を占ってあげて喜んでもらうのが
嬉しかった。
無口な大人しい、なんの取り柄もない
子どもだったが、占いの時はよく話していた。
スイッチが入ったように。

そして40を過ぎて
ひょんな事から占いを仕事にする事に。

占い師と言われるのは苦手だ。
なんか嫌い。

占い師にもいろいろな人がいる。
昔のようなズバリ系の占い師は
少ないけれど、まだまだいる。
占い師本人の意見を、個人的な価値観を
押し付けてきたり。
否定してきたり。

本人には視えてるのかもしれないが
なんかよくわからない存在が
こう言われている、とか。
こうしないと、大変な事になるとか。

根拠が無さすぎる。

そういう私だって始めた頃は
そんな能力が欲しいと思ったし
それで救えると思ったし
それで救われると思った。

結果的に、なんか拗らせてしまい
スピリチュアル的な感覚も大事だけど
論理的な現実的な事も必要だという
結論に至った。

元々発達凸凹や、神経症などもあるので
ハマり過ぎるのかな。
もう少しで家庭を崩壊させる所だった。

また
家族にもいろいろ問題を抱えていたので
カウンセラーになりたいと思った事もあった。
それは占いを仕事にする前の事。
家族の話をひたすら聴いた。
聴きまくった。全肯定で。
その経験が今に生きてるとは思う。

結局何が言いたいのか、と言うと。
占いを仕事にしてるが
私の感覚では占いとカウンセリングを
やっているということだ。

所謂そういう大学にも行ってないので
カウンセラーと名乗る事は出来ない。

でも大学に行ってカウンセラーをしている人でも
必ずしも良いカウンセリングが出来る訳でもない。
相性もあるだろうし。

だから私は占いを仕事にしているけれど
その人の表面上の問題だけをみることは
したくない。

来られる方は気軽に占いに来られる。
それで良い。
スッキリされて帰られる。
それで良い。

その後、やっぱり問題は
そこじゃないのかも…とか
何か気づかれたり、
見つめ直されたり
そんなキッカケになれば良いかなと
思っている。

カウンセリングの入口になるような占い。
それを志している。

男性は特に話を聴いてほしいだけの方も
沢山おられる。
話を聴いてもらって、話す事で
整理されたり、自信を回復されたり。

暫く自分の調子が悪いときは
お休みさせてもらったりしていたが
ぼちぼちと、やらせてもらっている。

最近はヘビーなお悩みも多い。

誰だって心を病む時があるんだな。

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