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福島の食は豊か過ぎた。
先日、生産者がご来店。毎度のように、昔話で盛り上がる。
この時間がめちゃくちゃ好き。
シェフは、自分の時間を割いてまで、郡山の食を盛り上げようと動いている姿を見て、俺たちももっとやらなきゃ!!と思わされた。
誰かの顔を思い浮かべて野菜を作ろうって気持ちにもなれた。
年は離れてるけど、心から尊敬してるし、本当に感謝してる。
こちらこそ生産者には感謝でいっぱいだし、自分のやりたい事をやって来ただけだし、最近めちゃくちゃ落ち込んでいたせいか、不意に涙が出た。
2011年3月11日。東日本大震災。
本来ならば食は生きることに欠かせない。
だが、福島の食のイメージが、原発のおかげで死のイメージへ変わってしまった…。
震災後、風評被害で悩まされていた農家さんが沢山いる。
(今は風評被害はごく一部。ただネットで騒ぐから目立つだけくらいにおもう)
私は、震災から4年後、復興レストランの料理長に抜擢され、帰福(Uターン)してきた。
東京での修行時代は、築地で顔の見えない野菜を買い、農家さんのイメージも泥だらけになり市場に出荷するだけだと思っていたし、野菜は付け合わせくらいしか思って居なかった。
福島に来てからは、めちゃくちゃカッコいい生産者が沢山居て、何よりもその方達の創る作品は、キラキラ輝いていて美味し過ぎた事に気づく。知れば知るほど好きになった。
野菜が主役。肉や魚はそれを引き立たせる調味料的な感じになった。
料理スタイルも変えさせられるくらい。影響を受けた。
こんな感じの生産者がゴロゴロ居る。
なんて素晴らしい環境なんだ!!
料理人として出来る事を考え、風評払拭ではなく、その前に地域活性化。まず初めに、生産者を知ってもらおう!替わりに営業しよう!!となり、地産地消を促進へ。
当時はまだ地産地消が2、3件。
・自分の蒔いた種は、成長も気になるし、実った ら絶対使いたくなるだろうと、若手料理人を集めて農作業。
・生産者を回るツアーを組む。
・野菜をレストランに勝手に持っていく。
・勉強会を開催。
・学校で食育で教鞭を取る。
・他のレストランでアドバイザーをやって地産地消メニューの開発。
などなど。思いつく事は片っ端からやってみた。
もちろん私だけの影響ではないし、生産者の魅力と努力の甲斐あってか、今では40軒くらいの地産地消店が増え、県外からのお客様も増えた。
今、コロナ禍で、飲食店は大きなダメージを負った。もちろん飲食店だけでなく、生産者も他の業種全てにおいて…。
この先どうなるかなんて誰もわからない。
福島は美味しい。って事を生産者と共に伝え続けていきたい。
と思い、現在筋トレ中。