なぜ勉強するのか
そろそろ認めなよ、と友だちに言われた。
「勉強」はわたしの趣味だ。
時間があれば勉強をしたいし
寝る時間も惜しい。
そんなわたしは
昔は勉強が嫌いだった。
勉強はつらい。しんどい。
やりたくない。
そんな人に3分だけ読んでほしい。
「京大を目指せ」
京都の公立高校に進学して、
高校1年生の5月に「入学テスト」を受けた。
入学後1ヶ月の成果を図るもので、
最初のテストとあって意気込んだ。
まあまあ点数もよかったし、と安堵した気持ちのまま担任との面談を迎えた。
目の前にポスターがあった大学を言った。
高校に入ったばかりなのに大学のことなんか知らないよ、と心のなかで思っていた。
何を言っているんだ。むりむり。
「とりあえず次はクラス1位な。頑張れ。」
それからはよく覚えていないが、さいごに不敵な笑みを浮かべて席を立った。
帰りの電車にゆられながら、京大なんて無理だよな。でもクラス5位は微妙!となぜか燃えていた。中間テストでは2位、期末テストでは1位をとることができた。
それから2年間、大学のことは特に考えず
クラス1位をキープすることだけ考えた。
また春が来て、高校3年生になった。
クラスが進路モードに向けてそわそわしだしていた頃、わたしはまんまと教師の思惑に引っかかり進路希望シートに「京都大学」と書いた。
京大コースの授業には目を光らせた生徒が揃い、変なところに来てしまった…と思った。
それでも模試や過去問を解き続けるうちに、本気で京都大学を目指していた。
受験本番。落ちたと思った。
結果、落ちていた。
得意だったはずの世界史が足を引っ張った。
でも落ち込んでいる暇はない。
次の日から後期試験に向けて必死に勉強した。
大阪大学に合格できた。
勉強は武器になる
高校2年生のとき、先生に聞いた。
社会人になったいま、痛いほどわかる。
知らない、わかってないと思われると「話ができない」と相手にしてもらえない。
ちゃんと知識を駆使して戦うと、若いからどうせわからないだろう、そんな大人たちの態度を変えることができた。
そして、わたしが気づいたもうひとつの理由。
「ほしい切符を手に入れるため」だ。
「あの人すごいよね」「この人みたいになりたい」そう言われ、思われる人ほど勉強をしていた。自分で道を切り拓き、誰になんといわれようと勉強する強い意志を持っていた。
尊敬する人に「お忙しいのに、いつ勉強しているんですか?」と聞いてみた。
「習慣だね。甘えなくなれば続く。」
通勤電車では絶対に座らないらしい。
座ったら寝てしまい、勉強できないからだそうだ。
なぜ勉強するのか
勉強はつらい。しんどい。
それでも勉強をするのは
知識という武器を手にいれるため。
自分の進みたい道に進むためだ。
誰のためでもなく自分のために。