無人島に1つだけ持っていけるなら、パン屋さんです。パンを偏愛しています。 私のパン遍歴記憶を遡ると、小学生の頃にとびきり好きだったおやつはフルーツサンド。 中学生の頃、お昼はコンビニで買ってくれる?と母に言われれば喜んでパンを3つゲット。塾の前に小腹が空いたら食パン。 高校生になると、朝ごはんは平日は和食、休日はパンと決められていた家庭で、勝手に毎朝食パンを食べる。食パンのお供は卵焼きやさつま揚げ。(家族が白ごはんのおかずに食べていたものをつまんでいた) 大学生になり
秋が近づいてきた。 この夏も恒例、働いて遊び過ぎて何度も体調を崩した。でもとても充実。満足の夏。 8月の朝はシェアの住人に感化されて、毎朝ハムチーズトーストを食べていた。同時に何人かがそうしていたので、ハムチー同盟と心の中で呼んでいた。 ある朝、珈琲とピザトーストを食べていた。ハムチー同盟員Aから「何食べてるんですか」と聞かれたので「えっと、好きなアイドルが毎朝ピザトーストを食べてるらしくて」と生半可に答えると「へえ……」と同じく切れ味の悪い返事で終わった。 翌週、ト
シェアハウスに住んでいるというのは案外マイノリティらしく、「え、シェアハウス?!」の驚きのあとには必ずと言っていいほど「どんな感じ?」「楽しいの?」と続く。 20人くらい住んでてキッチンが共用、お風呂はお部屋の中にあるよ〜とつらつら話したあとには、「そうなんだ。なんか楽しそうだね(私/俺は住まないけど…)」とでも言いたげな表情。 シェアハウスに住もうと決めたのは偶然だった。憧れの生き方をしている人がシェアハウス暮らしを経験していたこと、日常から多様な価値観に触れたかったこ
土曜日の21時「いいコミュニケーションってなんだろうね」とホットチョコをすすっていた。 蔦屋書店できらきらした本の装丁を見て、コーヒースタンドで暖を取り、スペイン料理を食べた。口数が多くはないけれど間の取り方が上手で、心地良いコミュニケーションをする彼女。 そう伝えると「でもおじさんと喋るのは苦手なんだよね」と苦笑いしていた。 自分の価値観が絶対で人の話に聞く耳を持たない人ってさ、変化球ばっか投げてくるしこっちが投げても全力で避けるじゃん、と。 なるほど。わかる気がする。
仕事でくたくたになった日の帰り道、JR中央線の席に腰掛けて川野さんのnoteを読む。この文章が好きで何度も読み返して、次の日にはLIGHT UP COFFEEに座っていました。はじめての吉祥寺はなぜか懐かしくて、夕暮れの香りがする街でした。3種のコーヒーセット、美味しかったです。 さて、なぜ人は考えるのでしょう。 明日は何を着ようか。ランチはパスタにしようか、それとも外食にしようか。いい人生のためにどちらの道に、誰と生きようか。 日々の選択から人生の岐路まで、わたしたちはた
JR中央線沿いの暮らしが始まって2週間。 電車の混み具合にも街の喧騒にも慣れ、安定した日々を送れるようになってきた。 さて、明日から新しい会社に勤める。 「転職って怖くない?」 同期に聞かれた。 怖くないときはなかった。 いつも、いまでも。 🕊 心の拠り所にしている言葉がある。 良くないことが起きると「人生終わった…」みたいな気持ちになることがある。 でも、時間が過ぎれば「あのことがあったから」と思うことがほとんどだ。 その時は悲観的になって
そろそろ認めなよ、と友だちに言われた。 「勉強」はわたしの趣味だ。 時間があれば勉強をしたいし 寝る時間も惜しい。 そんなわたしは 昔は勉強が嫌いだった。 勉強はつらい。しんどい。 やりたくない。 そんな人に3分だけ読んでほしい。 「京大を目指せ」 京都の公立高校に進学して、 高校1年生の5月に「入学テスト」を受けた。 入学後1ヶ月の成果を図るもので、 最初のテストとあって意気込んだ。 まあまあ点数もよかったし、と安堵した気持ちのまま担任との面談を迎えた。 目の前
12/29に大阪の部屋を解約して、京都で年の暮れを迎えている。 大阪で暮らしたのはたった8か月だったけれど たくさんの思い出がつまっている。 7.5畳の1K。窓からは公園が見下ろせていつもこどもたちの声が聞こえていた。 東向きの7Fで景色も開けていて、朝の光がとてもきれいに入るのがお気に入りだった。 12月に入ってからは日の出を見るために早起きしていたくらい。 友人もたくさん遊びに来てくれた。 近くの商店街を開拓してまわった。 思い出もなにもかも抱えて、この部屋にずっと住
新幹線は朝早くの時間をとって、 明るくなる窓辺を眺めながら サンドイッチを頬張るのが好きだ。 新大阪からだと 京都を過ぎたあたりで食べ終えてしまう。 あとはコーヒーをすする。 いつも考え事をしているが、 2時間30分の乗車時間に 何円が発生しているか計算してみた。 1分に96円払っている計算だった。 侮れない。 帰りの新幹線ではひたすらスマホを触って 思う存分ぐだくだしている。 チョコケーキをむしゃむしゃ食べ、 ビジネス書を読み、爆睡しているOLを見て 隣の男性客は
2022年になってから燃えたあとの薪みたいな干からびた状態が続いて、ずっと考えていた。私はなにがしたいんだっけ?なにを目指してきたんだっけ? 歩きながら、寝ても覚めても、逡巡した。 たいした夢も目標もない。 でも私には「どうしても見過ごせないこと」があった。 それは、世界の負から目を背けることだった。 大学で国際情勢や国際問題を学び、 いろんな国のいろんな景色を見てきた。 そして、世界はどうしてこんなに違うのだろうと思った。 先進国と発展途上国という括りは、 複雑化す
夕暮れの中之島。 都会の空は狭いと思っていた。 中之島に来て、空が広くて水が近い場所が 大阪にもあるのかと驚いた。 もうすぐ夏が終わる。 ばいばい、2022年の夏。 秋は経済の勉強をしつつ、 たくさんコーヒーを飲みたい。 はやく涼しくなってね〜〜
コロナ渦でも毎日出社のOLだけど、訳あってしばらく在宅勤務をしていた。 電話も鳴らない、やっかいな人間関係もない、思っていたより快適だった。 最近では「リモートワークができる」を最優先に企業を選ぶ学生もいるらしい。納得かも。 さて、大学の後輩からこんなLINEがきた。 私も2019年5月に内定を貰ったが、8月頃まで就活を続けていた。 新卒ブランドの強さ、頑張ったのに希望が叶わない辛さ、3年前の自分を思い出した。 受験は団体戦。 就活は個人戦だ。 周りは次々と内定を
社会人3年目になった。 この2年間、そこそこ楽しく働いたし、生きたいように生きてきた。 今私は商業施設の運営管理を担当していて、いわゆる「イオンの事務所にいる人」的な仕事をしている。テナントさんの売上管理やトラブル対応、空室への店舗誘致やイベント企画などなんでもありだ。 1.2年目の頃に任せてもらえた大型案件ではテナントさんのオープンを迎えるため、工程管理やビル側の設備を担当し、オープンしてお客さんが流れ込んできた瞬間は涙が出るほど嬉しかった。テナントさんと抱き合って喜び
「やさしさの循環」のお話。 JR神戸線に揺られていると雨が降ってきた。 傘を持っていなかったので、駅でコンビニに寄ろうと思ったら、目的地の塩屋にはコンビニがなかった。どしゃ降りの雨。 このまま歩けばびしょ濡れになる。小さな商店でもあれば傘が買えるかもと思い、ひとまずカフェで傘が買える場所を聞いてみることにした。 「近くで傘が買える場所ありますか?」 カウンターから出てきてくださったお兄さんは「スーパーもコンビニもないので…待っててくださいね」とビニール傘を持ってきて
まっすぐに、清廉に生きたいと思っています。 わたしの友達には表裏のない人が多くて、陰口なんてなんにもならないよね〜とさっぱり笑い合っていました。それなら、面と向かってここがいやだよ、って言おうと。 社会に出ると表裏のある人ばっかりで、私にはいいことを言っているのに、同僚には正反対のことを言っている。営業先では上っ面なことを言って、一歩出るとその笑みはどこへやら。そんなことが多くて悲しくなります。 きっとそれが世を渡る術ということはわかる。わかるけれど、心の奥がきゅっとな
ちょっとキテレツな友人がいる。 彼女は1ヶ月前にyoutubeを見て、 なんにでも牛乳を注ぐ生活をはじめた。 回鍋肉、きんぴら、唐揚げ、おみそ汁、 忠実に牛乳をそそぎつづけた。 結果「ミルク豚汁」が一番おいしかったようで、レシピを教えてくれた。 作ったら意外においしくてびっくりした… その前はというと 「コンビニで毎朝、お会計のあとに Love&Peace と言う」実験をしていた。 1ヶ月後、店員のあいだで「オノヨーコ」と呼ばれていることを知って満足したそう