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【布団から出られなくなるエッセイ】「もうあかん」からつくる喜劇

正月を迎えたら、もう特に予定がない年始休み。
夜更かしをしたのに、仕事がある日と同じ時間に目が覚めてしまう。
休みなんだから、もっとダラダラと寝ていたい!と、布団の中でスマホを触っていた。隣で寝ている夫を、ブルーライトで起こさないように、布団をすっぽりと被って。
本でも読みたい、でもわざわざ布団から出るのは面倒くさい。そんなときに、もってこいなのがnoteだ。その中で、私が5年前の記事まで遡って読んだnoteがある。

エッセイストの岸田奈美さんの「もうあかんわ日記」

もうあかんわ日記〜2ヶ月間の限界家族〜
母が心内膜炎で入院、祖母は認知症が悪化、犬は大暴れで……岸田家の危機に、祖父の葬儀、鳩の襲来などが続々と!「もうあかんわ」と嘆きながら毎日更新した2ヶ月の記録。

岸田奈美さんのnoteより引用

家族は、みんな何かしらのサポートが必要な岸田家の状況は、大変と言葉にしていいのか迷うほど。自分の経験したことのない苦労が詰まっている。
それなのに、岸田さんが描く日常はとにかくおもしろい。
決して笑う状況ではないのに笑ってしまう。どこかで、「いやいや、笑えないでしょ、こんな状況!」と思っているのに、気付くと笑っているのだ。
そして最後は必ず温かい。読んでいて、「今日はなかなかヘビーな話題だ……これはどう終わるのだろう」と思っても、必ず温かさが残る。

喪服だと思ったらまさかの〇〇だったくだり。
笑えるはずのない話題なのに、布団の中で声を出して笑ってしまった。横で寝ていた夫が寝返りを打った。

なぜこんなに、大変な日常をおもしろがれるのだろう。岸田さんって、めちゃくちゃおもしろい人なんだろうな。

布団に潜ってからもう1時間は経っていた。
最後の「もうあかんわ日記」の1行で、動き続けていたスクロールの指が止まった。

「悲劇は、意志を持って見つめれば、喜劇になることがあります。」

ああ、岸田さんはただ”おもしろい人”ではなく、“おもしろがろうとしている人”だったのだ。だから、描く世界が温かいのだ。

「もうあかんわ」と文章にすることで、悲劇を喜劇にしてきた岸田さん。「もうあかんわ」と言い切って諦めたときに、少しだけ見える明るいものや面白いものを、運良く見つけられたそうだ。文章にすると、一歩引いたところから、落ち着いて物事を見ることができる、と。

岸田さんは意思を持って「もうあかん」日を見つめることで、おもしろさを見つける。そこで生まれた「もうあかんわ日記」を読む私たちは笑いと温かさをもらう。
文章を書くことの力をこれほど感じるエッセイはないなと思った。

喜劇にするまでに、どれだけ辛いことがあったのだろう。まだ、喜劇にならないことも山ほどあるのだろう。それでも、岸田さんが書く日常はおもしろい。
これからも岸田さんの喜劇を見続けたい。

持っている本の8割はエッセイ、というくらいエッセイが好きな私。
電車の中でも笑いそうになる面白い作品はたくさんあるが、思わず声が出て笑っちゃうのは初めてだった。岸田さんが私に隣で話してくれているように再生される。勝手に、岸田さんと友達だった気がしてくる。
「とにかく全部おもしろいから、どの記事でもいいから一回読んでみて」とおすすめしたい。

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