映画オタクよ、「映画マッチング」を観よう
映画オタクよ、「映画マッチング」を観よう
最初に
映画オタク、「マッチング」って知ってる? 2024年2月23日に公開された、サスペンススリラー映画。監督脚本:内田英治、主演:土屋太鳳で展開され、興行収入9億円、観客動員数65万人を突破したあの映画が、5月20日、遂にレンタルでU-NEXTにやってくる。399円(税込)。安い。U-NEXT単体のお値段は正直お高いと感じてしまわなくもないが、映画オタクは金銭感覚がバグっている人が多い(主語がでかい)。特に映画がとにかく豊富なU-NEXT、映画館での特典もあるU-NEXT、入っている人も少なくないのではないだろうか。
そんな映画オタクにぜひおすすめしたい。
「『映画マッチング』はいかが? 」
いや、わかるよ。近年の日本のサスペンススリラーとかホラーって、エンタメに振り切りすぎて安っぽくなりやすい傾向がある。重厚なサスペンスやミステリー、ヒューマンドラマに振り切ってしまえば面白い名作になる傾向が多いが、エンタメに行くとどうしても非日常感が上回って楽しめなくなってしまう。
あっ、待って、そうやって嫌煙する映画オタクにぜひ観てほしくて書き出したんだから、もうちょっと見ていってください後生ですから。
監督脚本:内田英治
まず、「映画マッチング」の監督の名前を観てほしい。「内田英治」。ご存知、「ミッドナイトスワン」の監督だ。
そう、かの名優草彅剛がトランスジェンダーの「凪沙」を演じて波紋を呼んだ「ミッドナイトスワン」。映画オタクの間では大分話題になっていたんじゃないだろうか。あれはとにかく“こだわり”が強く見られた、映画オタクにとってたまらない1作になっていた。私も観に行った。
「ミッドナイトスワン」で、内田英治監督は“画の美しさ”にとことんこだわったように感じた。あの物語は“舞台の上のような美しく悲しい思い出の、刹那的な日常”だからこそ、あそこまで画をつくるのにこだわったのだろう。特に屋上のシーンは、息を飲むほど衝撃的で、絵画のように脳裏に残る。
また、階段で凪沙と一果(演:服部樹咲)がオデットを踊っていたシーンは、どこまでも美しくまさに舞台の上だった。日常の服装がバレエのチュチュに見えたし、月明かりがスポットライトであった。
そういう“画”をつくるのがうまい監督。「映画マッチング」を観るまで、私の内田英治監督の印象はそれだった。
でも観た今思う。「映画マッチング」はむしろ“画”よりも“質感”にこだわっている内田作品である。そういう内田作品が観られるぞ。
というのも、まず題材が違う。「映画マッチング」は原作脚本も内田英治監督だし、ヒューマンドラマの「ミッドナイトスワン」と違ってあくまでも“サスペンススリラー”だ。ひと場面を切り取ったような印象的な画を残すよりも、ジェットコースターのような疾走感を楽しませて鳥肌を立たせる方がいい。きっと監督はそう考えたのだろう。そういうタイプの“こだわり”を感じる映画だった。
主演:土屋太鳳(唯島輪花)
そして主演、土屋太鳳。映画オタクならきっと、「今際の際のアリス」や「哀愁しんでれら」を観たことがあるオタクも多いんじゃないだろうか。世間的なパブリックイメージでは“天真爛漫”や“溌剌とした”“圧倒的陽”という類のものが強いだろうけれど、映画界隈での土屋太鳳はきっと違う。
ひと言で言えば、“不幸が似合う”。正確に言えば、“凄惨な不幸に立ち向かう猛々しさが似合う”。
学生役を卒業した今の彼女は特にそうだ。「累ーかさねー」もしかり、「哀愁しんでれら」「今際の国のアリス」など、高い身体能力や舞台映えする発声を活かし、不幸を操る姿が美しく強か。そんなパワー系ヒロインの印象が強いんじゃないだろうか。
そんな彼女を主演に据え置いた「映画マッチング」。ネタバレにならない程度に言うと、今回彼女は“不幸に翻弄される”役である。
「哀愁しんでれら」でもそういう土屋太鳳は拝められる部分があったが、「映画マッチング」はとにかく“土屋太鳳の悲鳴”が堪能できる。ハリウッドでは、ホラー映画やスリラー映画などにおいて、悲鳴や叫び声といった恐怖演出(演技)を得意とする女性俳優。または、そのような恐怖演出によって作品に貢献した女性俳優を“スクリームクイーン”と称する文化があるが、「映画マッチング」を観た今、私は思う。「日本の『スクリームクイーン』の一角を担うのは土屋太鳳なんじゃないか」と。
とにかく響くんだよ。発声が違う。そして彼女が演じる唯島輪花というキャラクターが、責任感が強く溜め込みやすい性格だからか、溜まり溜まった苦悩がある出来事で爆発して叫びが発散されるため、より一層響き、観客に不幸を追体験させる強さがあった。
あと“スクリームクイーン”の必須アイテムとされる(個人的意見)、“大きな目”や“素直な反応が表出できるはっきりとした表情筋”という特長も兼ね備えている。やっぱりホラーとかスリラーで恐怖が映える演出のひとつとして、“ヒロインの叫び”は必要不可欠で、叫ぶヒロインがこのふたつを持っていたら“恐怖がスクリーンいっぱいに広がり、観客を引き込む”力を発揮すると思う。
例えば、「スクリーム」のネーヴ・キャンベル。「ハロウィン」のジェイミー・リー・カーティス。「サイコ」のジャネット・リー。強い美人系の顔立ちながら、目が大きく感情が表出しやすい表情筋の持ち主でもある。
とはいえ、これはあくまでハリウッド的な洋画界隈での話だ。じっとりじめじめを売りとする“ジャパニーズホラー”界隈では、むしろ塩顔系の薄い顔立ちの方が映えると思う。ジャンプスケア(突然の大きい音と画像変換させ、恐怖を煽る演出)や追ってくる恐怖よりも、「ねぇ後ろになんかいるよね……?気のせい……? 」みたいな知ることで八方塞がりになるような恐怖が醍醐味のJホラーとは違うだろう。
ただ、そういう意味では「映画マッチング」の恐怖はJホラーらしくない。
佐久間大介 SnowMan(永山吐夢)
本作で強烈な印象を放った、異彩の魅力を持つ男、それが永山吐夢(佐久間大介)である。それでいて我が推し。以後、お見知り置きを。
この佐久間大介という男、とにかく顔が可愛い。今年32歳だが、それを感じさせない可愛さである。そしてその可愛さのせいか、「映画マッチング」で彼が演じた永山吐夢は25歳。……マイナス7歳? いきなり美容品の説明みたいになっちゃった。
“可愛い子には怖い役をさせよ”。太古から伝わることわざである。
というのも、映画の悪役は美しければ美しいほど良い。美しくなく、極悪非道を極める悪役もそれはそれで魅力的だけれど、“魅了”に説得力を持たせるのは“鳥肌が立つほどの美”だ。そしてこれを割とやりがちなのは韓国映画だと思う。
もちろん、洋画にも美しい悪役は存在する。「永遠に僕のもの」のロレンソ・フェロ、「少年は残酷な弓を射る」のエズラ・ミラー、「ハンニバル」のマッツ・ミケルセン。というかむしろ、洋画の“美しい悪役”に多いのは女性だろうか。「クルエラ」のエマ・ストーン、「スーサイド・スクワッド」のマーゴット・ロビー、「マイティ・ソー」のケイト・ブランシェット。
美はわかりやすいカリスマ性である。美しい人が放つ圧倒的カリスマ性に命令されれば、平伏してしまう。映画オタクでなくとも、そんなことは鬼舞辻無惨やディオ・ブランドーやボア・ハンコックで学んでいる。日本人はそんなものだ。
じゃあ日本で最高峰のカリスマ性を誇るのは? アイドルだろう。
日本特有の文化にして、海外からは理解されにくい“偶像の人間というパフォーマー”アイドル。そんな彼ら彼女らが演じる“魅力的なカリスマ性を持つ役柄”は、もはやひとつのジャンルと言えるほど圧倒的な地位を確立していると思う。
「ヒメアノ~ル」の森田剛、「ブラックペアン」の二宮和也、「怪物の木こり」の亀梨和也、「響きーHIBIKI―」の平手友梨奈。スポットライトの下に住民票を置いているような彼らだからこそ、人を平伏させるほどのカリスマ性を持っている。そしてそれは“ヴィラン”や“ヒール”と呼ぶにふさわしい、暗くも眩しい光を放つのである。
「映画マッチング」の公式“ヒール”、永山吐夢を演じる佐久間大介もまた、SnowManというアイドルである。
金子ノブアキ(演:影山剛)
金子ノブアキといえば? 10人に訊けば10人が答えるだろう。「怪しい役をやっている人。」ごめん、正解です。
「映画マッチング」はあえて“マッチングアプリから派生したストーカーもののサスペンススリラー映画”としか売り出されていなかった。そのあらすじにおいて、“マッチングアプリの開発に携わるエンジニア”という影山の役はあまりに弱い。それでいて、しっかり土屋太鳳と佐久間大介と三大巨頭を担っているプロモーションの連発だった。
なにかある。頭脳が子どもでもわかる、金子ノブアキなんかあるやつや。金子ノブアキというわかりやすすぎる伏線。もはや彼のお家芸ですらある。
映画オタクは知ってるんだ。井浦新、浅野忠信、窪田正孝、安田顕は“なにかある”。ただの優しいキャラクターであるはずがない。そんな確信を抱くほどの映画経験がある。金子ノブアキはこの3人と並べると“そういう”映画経験は少ないかもしれないが、同じような雰囲気を感じる。オタクは察しのいい生き物なのだ。
だがそんな察しのいいオタクを嘲笑うようなジェットコースター展開、それが「映画マッチング」の売りである。
金子ノブアキなんかあるんだろ? ほらそうじゃんなんかあるじゃん絶対なんかあるじゃんおっと!?!? 思ってもいないところから刺された! こんな感じ。
主要キャラ3人とも、俳優以外にアーティストやダンサーなどの仕事をしており、だからこそ“光”と“影”の作り方がうまい。動き方や発声が上手い。こういう映画もあるのか……と感嘆した。
そしてそういう“元から持っているキャラクター性”をうまく伏線に落とし込んだ脚本。それが「映画マッチング」である。
副音声で知った、小道具の細部にまでこだわり抜いたその“映画癖”、きっとディープな映画オタクほどハマるだろう。
これ児童心理学で学んだやつだ!
「映画マッチング」が凄いなぁと唸るひとつの理由は、その緻密なキャラクター造形である。
サスペンススリラー映画のガワを被ったこの映画はその実、“愛”を残酷なまでに事細かに描いている。愛に臆病な人、愛の方法を知らない人、1人の愛だけが欲しい人……。多くの愛を描きながらそのキャラクターの過去をも描き、「あぁ……そういう環境で育ってきてしまったのなら、そういう愛し方しかできなくても仕方ないよな……」と観客に頭を抱えさせる。
めちゃくちゃ個人的な話ですが、私、“映画オタクとしてもっとキャラクター造形を深めて楽しみたい”がために、大学時代手当たり次第に哲学や心理学系の科目を履修しておりまして。その中で教員免許も取って、児童心理学も一応学んだんだけど、その中で“虐待を受けた子どもが陥りやすい自己否定と自己愛”という類のものも学んだんですよ。
だからこそ思った。“愛着障害や試し行動”、“母性愛への執着”、“経験からの愛の忌避”。どれもこれも、某進研ゼミで見たやつや! レベルの反応をしてしまうほど、緻密な描写であった。
「これ児童心理学で学んだやつや! 」
愛が下手くそすぎるキャラクターたち
「映画マッチング」とにかく登場キャラクターが恋愛偏差値低すぎる。いや、恋愛のみならずとにかく愛し愛されという概念が下手くそすぎる。そこまでいくと愛おしいよというキャラばかりなのである。
唯島輪花という“光”
まず主人公、輪花。4歳のとき、自分と一緒にいた母がいきなり失踪したという過去を持つ。そのため彼女は29歳になった今も、「お母さんは私を置いて行ってしまった」「どこに行っちゃったんだろう」という喪失感を抱え続けている。
そんな彼女の育ちは、いわゆる“シングルファーザー”。父芳樹(演:杉本哲太)に育てられてきたが、“愛した母が自分とふたりきりのときにいきなりいなくなった”からか、“好きな人が出来ても自分から離れていってしまう”。わかりやすい“回避行動”である。
あらゆる作品で見られるけれど、“他人と親しくなることを避けることで自身の精神バランスを取ろうとする”人はいる。これは俗に“回避依存”と呼ばれ、愛を語る本作品のヒロインこと唯島輪花はまさにそれである。
だがそんなヒロインこそ、恐怖の渦中に引きずり込まれてしまうのは、スリラー映画のお約束。
輪花はマッチングアプリの自己紹介欄に「苦手なもの→ホラー映画」と書くくらいにはホラーが苦手だが、本作品の恐怖描写は割と容赦がない。もちろんホラー映画慣れしている方からしたら思っているものとは違うだろうが、人間として生きていれば容易に想像できてしまうような、情緒をじわじわと蝕んでいくような恐怖が描かれている。
それはまるでストーカーという影が彼女の光に闇を落としていくようで、綺麗なものが黒く磨かれていく様子は、正直たまらなく美しい。
と言っても、唯島輪花は高潔なわけでも純白なわけでもない。人生を諦観しているというか、常に気だるそうな主人公。本来ならば太陽だとか光だとかそういう言葉の似合う属性ではない。
だが輪花は、影を持つ人と邂逅すると圧倒的な光属性になる。女神のように柔らかく微笑み、影を受け入れてしまう。だからか、彼女はやたらと影を引き寄せるのだ。
なぜ彼女が影に引き寄せるようになったのか。輪花の家庭環境、つまり父親にこそ理由があると思う。
責任と愛のバランスが悪いよ、芳樹
唯島芳樹。輪花の父親のこのキャラクターは、杉本哲太が演じている。
瀬々監督作品の「8年越しの花嫁」でもこのコンビは親子役を演じていたっけな、大河ドラマ「龍馬伝」では乙女(演:寺島しのぶ)の幼少期が太鳳ちゃんだったから、兄の権平役だった哲太さんとは兄弟関係だったこともあるということだ。
そんな、何かと縁のあるふたりの親子役。先に言っておこう。これまでのふたりが紡いできた親子関係は忘れてほしい。
別にこのふたりは関係が殺伐としているわけではない。週末は飲みに出かけているし、夕食は必ずと言っていいほどの頻度で向かい合って共にしている。お互いに対する愛があることは見て取れるし、信頼し合っていることもわかる。
ただ、芳樹の“父親としての責任感”というものがイマイチ読み取れないのだ。
これは冒頭の展開だから言っちゃうんだけど、輪花は作中、吐夢というストーカーからの粘着質な行為に悩まされる。輪花もわかりやすく、いつも以上に元気がなかったりため息の回数が多かったりするわけだが、芳樹は「どうした? 」と訊くだけでなにもしない。人によっては「どうした? 」だけで救われることもあるが、芳樹のそれは思いやりと言うよりかは形式的な感じがしてやまない。
というのも、輪花がストーカー行為に悩まされるよりも少し前、唯島家には奇妙な電話がかかってくる。電話に出たのは輪花だが、「なんか中年?って感じの女の人だった」という情報を聞いてから、目に見えて芳樹の様子はおかしくなっていく。
自分の問題に精一杯で、娘の心配に気を配りきれない。それが芳樹だ。だからこそ、疲弊しながらも輪花がつくったご飯を前に「ちょっと食欲ないな……」と言って8割ほど残し、ひとり台所を後にする。
悪い人じゃないし、娘との思い出の写真をたくさん飾るような愛に溢れた人でもあるんだけれど、不器用とは違う、“どこか無責任”なキャラクターである。
そしてそんな無責任なキャラクターが責任を精算しようとしたとき、悲劇が生まれ、それがまた輪花を傷付けるのである。
影山剛という“陰”
影山剛。もう名前が怪しい。金子ノブアキが演じているという時点でもう全てが怪しい。だってこんなにも“陰”を感じる作品での“影”を冠するキャラクターって、もう“キーパーソン”の名札を貼られているようなものじゃないか。
しかも本作はプロモーションの時期からなにかと“四つ葉のクローバー”が頻出されていた。でも四つ葉のクローバーを持っているのは輪花と吐夢だけ。影山は持っていなかった。これに意味がないわけがない。
影山剛は、輪花と吐夢が使うマッチングアプリの開発者である。その関係から、輪花が吐夢のストーカー行為に悩まされているという相談をしたのを皮切りに、ふたりは交流を深めていく。
影山が輪花とのデートに選ぶ場所は、いつもどこか“古い”。クラシック映画を多く上映しているミニシアター、レコード屋、小さな喫茶店。彼自身、「小さい頃から古いものが好きで。おかげでずっとひとりだったんですよ」と語っている。
「なんか意外です。エンジニアの方ってもっとこう……新しいものがお好きなのかと思っていました。」「人によりますよ。僕は古い映画を観て、古いレコードを漁る。それで十分なんです。」
過去を愛しているのに、新しいものを仕事にする。未来を夢みているのに、過去の愛から逃れられない。そんなどこかちぐはぐなキャラクター性を持つ影山の笑顔は、物語が進むにつれて影を色濃く映していく。
労働は義務だが、彼にとって仕事は使命に近かったのだろう。そしてその使命は、過去の経験によって重みを増していく。彼がどんな過去を歩んで物語に陰を差すようになったのか、そしてどうして輪花という光に惹かれたのか、ぜひ映画を観て体感してほしい。
永山吐夢という“子ども”
本作品のヒール(公式設定)、永山吐夢。今をときめくアイドル、SnowManの佐久間大介がストーカーを演じた。彼はSnowManの中でもとにかく明るくて、エネルギー出力が常に最大値、特攻隊長と呼ばれるくらい向こう見ずで爆発的なパフォーマンスをする“太陽のような人”である。
そんな彼は普段、メンバーカラーと合わせて髪色をピンクに染めている。だが吐夢を演じるため“だけ”に、その紙を真っ白に染め上げた。わずか2週間程度。だが彼が吐夢を愛したのは、たった2週間ではない。監督と吐夢を作り上げ、彼の中に吐夢を生み出し、永山吐夢というキャラクターを愛した。
佐久間大介を永山吐夢にキャスティングした、プロデューサーの言葉である。私はこの化学反応は“ある”と思っていて、実際かの北野武監督も、「首」の織田信長に加瀬亮をキャスティングした際、このようなことを言っていた。「普段絶対怒らねぇ穏やかなやつが狂った役をやんのが、面白いんじゃねぇか」。
「映画マッチング」での永山吐夢の影は、深く濃かった。何者にも干渉されたくないというような幽霊のような出で立ちで、それでいて生や愛に対する執着は誰よりも強い。毒虫のように輪花という花に誘われ、クリオネが捕食するようにじわりじわりと輪花を追い詰め、愛の地獄に突き落とす。
普通の人生を歩めなかった吐夢は、「僕は恐ろしく不幸な星のもとに生まれたんです」と事ある毎に言っているが、作中でも最も愛着障害を拗らせた永山吐夢という人間は、作中で誰よりも“幼い”悪役なのだろう。
節子って……だれ?
節子役、斉藤由貴。前情報には、節子についてはこれだけしか書いていない。そしてこの意味がわからないほど、映画オタクは馬鹿ではないだろう。
……斉藤由貴だぞ? “出演だけで怪しい日本の男性俳優”が、安田顕や窪田正孝ならば、“女性俳優”ver.は、「斉藤由貴、木村多江、大竹しのぶ」だろう。もはやこの3人が強すぎる。ある意味で金子ノブアキの怪しさすらかすむほど、斉藤由貴が怪しすぎる。
そんな斉藤由貴が、苗字を名乗らない役を演じている。もうこんな濃く引かれた伏線も中々ないだろう。伏線というかもうフラグだ、“斉藤由貴というフラグ”。そして本当に前情報では、これ以上語られていないのである。
予告にもほんの少し出てくるものの、“白い服を着ている”ということしかわからない。恐ろしい程に真っ白い服装に身を包んだ節子。亡霊のような顔のその目の奥に愛欲を闘志のように滲ませたこの人物は、一体何者なのだろうか。
新生ヒール「永山吐夢」
日本映画に燦然と誕生したヒール、“永山吐夢”。永遠に夢を吐く、と書いた皮肉のような名前を背に、「『夢を叶える』に1本足すだけで『夢を吐く』になるね」と笑うこの男は、幽霊のようでありながら陽炎のようでもある、どこまでも愛に飢えた魅力的な悪役であった。
そんな吐夢を彩る様々な演出は、日本特有の“らしさ”にとらわれすぎない、自由で多岐にわたるこだわりに富んでいたように思う。
韓国映画らしさ
「映画マッチング」自体の質感は、1番韓国のホラー映画に似ているのではないだろうか。「非常宣言」、「パラサイト 半地下の家族」、「ザ・コール」。雨に濡れたコンクリートのような匂いを陰鬱と感じさせながらも、ジェットコースターのように目まぐるしく場面が展開していくのは、韓国映画らしさだったのではないだろうか。
だが、映画オタクこと私の所感としては、韓国映画ではヒール自体はあまりつくらない。いても社会を悪とするような描き方をするし、“悪が勝つ”こともあまりない。悪vs悪の展開も多い。つまり韓国映画では“正義と悪ではなく、矜恃と矜恃のぶつかり合い”が多いのではないか? そういう意味では、「マッチング」は当てはまらない。でも質感だけ見れば、あまりにも韓国映画“らしい”のだ。
私が最初に「マッチング」を観た後の感想は、まさにそれだった。
洋画らしさ
じゃあ逆に“洋画らしさ”ってなんだろうか。壮大さ、スケールの大きさ、それに加えて“悪役を魅力的に描く傾向”があると思う。
どの映画でもピエロの化粧を模したジョーカーは魅力的だし、ハーレイ・クインやクルエラだって魅力的だった。そもそもヴィランを主役に映画を作ろうという考え方がハリウッドらしいし、“サイコパス特集”なんて映画まとめを作れば、ほとんどは洋画の作品で埋められるだろう。
ヒール(悪役)をつくり、エンタメ化し、“ヴィラン”に昇華する。それが洋画だ。そういう意味では、永山吐夢は最後“ヴィラン”へと花咲いた。そしてその立役者となったのが、ラヴェルの「ボレロ」である。
なぁ映画オタク、好きだろ、映画のBGMにクラシック音楽使われるの。
「地獄の黙示録」の「ワルキューレの騎行」、「バトル・ロワイアル」の「ラデツキー行進曲」、「羊たちの沈黙」の「ゴールドベルク変奏曲」、「2001年宇宙の旅」の「ツァラトゥストラはかく語りき」に、「アマデウス」の「レクイエム」。全てのスクリーンを体感型4DXにしてしまうかのような魅力が、クラシック音楽にはある。世界観をより壮大にし、人間だった“ヒール”を手の届かない場所へと連れて行ってしまう畏怖の力がある。
ラヴェルの書いた「ボレロ」という楽曲は、そもそも“シラケた酒場で踊っていたひとりの踊り子が、だんだん酒場全員を巻き込んで最終的には全員で楽しく踊り出す”という作品である。たったひとつの楽器とワンフレーズの旋律が、オーケストラ全員を巻き込んでひとつの楽曲になる。そんな楽曲が織り成す「マッチング」の愛に、ぜひ畏怖してほしい。
邦画らしさ
「映画マッチング」、メッセージ性はあくまでも“愛”である。この統一感と愛を多面的多角的に描こうとする“小説のようなシナリオ”感は、邦画的だと感じた。
「映画マッチング」は、作中にとある作品が引用されている。映画オタクなら誰もが知る名監督、ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」である。この作品を観た人ならば脳裏に焼き付いているであろう、「私はこの『サロメ』で舞台に返り咲くわ! 」と主人公が意気揚々と語るシーンを、輪花と影山が観ているのである。
「サンセット大通り」は、それぞれの自己中心的な愛が悲劇を呼ぶ物語であった。人間には愛される旬があるのだと暗に語り、人は皆他者からの視点というフィルムを通じて映画を演じているのだと語りかけていた。
そんな作品を、引用した意味。私はどちらの作品も、観た後に「自己愛と自己肯定感って反比例するよなぁ」という感想を抱いた。つまりはそういうことだ。つまりは、“愛への執着”がこの一見なんの共通点もない2作品を結びつけたというわけである。
私が邦画で好きなのは、語りすぎない作品だ。いわゆるリドルストーリー(西川美和監督作品「ゆれる」など)と呼ばれる、最後のワンショットで視聴者にラストを委ねるような作品が好きだ。
でもそういう作品は好きじゃないと言う人もいるだろう。そういう意味で、「映画マッチング」は考えずとも楽しめるし、考えれば考えるほど楽しめる作品でもある。観た後はぜひ、考察や原作小説を読むのも一興だろう。
最後に
私がこうやってあくせくU-NEXT配信に向けてnoteを書いている間に、嬉しいニュースがあった。「映画マッチング」の円盤化決定、更に予約開始である。予約しようと思ったらもうカゴに入っていたので、私はプロシュート兄貴に褒められるべきだと思う。
オタクは行動が早い生き物。そう、だからこのnoteを書き上げるのが結局配信開始の20日の前日である19日になってしまったことには、目を瞑ってほしい。
1万字もかけて語ってきたけれど、簡単に言うとただひと言で済むのだから。
映画オタクよ、「映画マッチング」を観よう
後悔はさせない。