職人としての介護職
正しい、誠実な、かつ率直な親愛は、兄弟姉妹や親戚の間では、およそこの上なくよいものである。けれどもそれは義務ではなく、自由意志に基づくものであり、ただ感情だけでなく、理性をもって扱わねばならない事柄である。
(ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために 第二部』岩波書店, 1973, 22頁)
友人でも、家族でも、近い間柄だからこそ言ってはいけないことがあるとはよく耳にする話です。
でも、近い間柄だからこそ、相手のことが理解できていると思い込み、相手のためと思って、余計なことを口に出してしまう…
相手の情報を沢山わかっているからこそ、こちらは何気ない言葉のつもりで話していることでも、相手にとっては触れられたくない内容だったりします。
これは、場合によっては、家族以上に利用者のプライベートな情報を把握する介護者にも当てはまることがあると思います。
生活を支えるけれど、介護者と利用者は家族ではありませんし、疑似家族でもないのですが。
相手の客観的な情報を沢山知っていると思うからこそ、
相手との距離を少しおいて、必要な時はいつでも手を差し出せるように黒子として傍にいる。
そこに、介護者としての醍醐味があると思うことがあります。
相手と家族のように接してもいいのは、相手がそれを許してくれているから
そのことを忘れて、どんな利用者に対しても、距離の近しい態度をとり(つまりは、なれなれしい)、相手との心理的距離を無理やり近づけようとすると、相手にとっては却って不快であったり、嫌悪の対象にすらなることがあります。
相手に対する親愛の気持ちは、義務ではなく、自発的に起こるもの。
でも、感情のままにするのではなく、相手が求めている距離感を測り、節度を持って接すること
これを身をもって示して下さる職員さん…やはり、職人だと思うのです。
本日は、上司とお話する機会がありましたので、つぶやきを連投し、
部下として、消化したことを書き留める日でした。
ではまた👋
ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために 第二部』岩波書店, 1973
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