昔の自分と向き合う—子育てを通して感じる学びと再生
子供の成長を見守る中で、自分自身が「生き直し」をしていると感じる瞬間はありませんか?そんな日々の気づきや感情を共有し、一緒に考えるための場として、お役に立てたら嬉しいです。
子育ては「生き直し」
子育ては「生き直し」とよく言われます。
子どもの成長を見守る中で、自分の過去の記憶や感情が蘇ることがあるからです。
例えば、公園で一緒に砂遊びをしてみると、その砂の感触や匂いが、私自身の幼少期を思い出させます。忘れていたはずの感情がふと戻ってきたり、過去に感じた思いを再び体験することがあるのです。
子どもの年齢ごとの友達関係も、私の記憶の中で同じように移り変わってきたなと感じることもあります。それが楽しい場合もあれば、もちろん少し苦しい場合もあります。
子どもの成長とともに、彼らの人間関係が新しいステージに進んでいくのを見ながら、自分の過去の人間関係や葛藤が自然と頭をよぎるのです。
学び直しの楽しさ
そんな「生き直し」に加えて、私は最近「学び直し」もしていることに気づきました。
娘が中学生になり、塾で勉強をするようになってから、私は直接 彼女の勉強を見守ることは少なくなりました。それでも、「ここがわからなかった」「こんな内容をやったよ」と毎日話してくれるので、自然とその内容を追いかけています。
一緒に、かつて自分も学んだことを再び学び直す感覚があり、意外と楽しいものです。
忘れていた知識や、新たな視点での学び直しは、大人になった今の私にも刺激的です。
『少年の日の思い出』が教えてくれること
最近、娘の国語の教科書でヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』を読みました。
何とも言えない後味の悪さと同時に、こんなにもすごい物語が教科書に載っている!ということに驚きのような喜びを感じました。(定期試験のためだけに勉強するのは、勿体無いと思う。)
『少年の日の思い出』は、読者が自分の過去や感情と重ね合わせて深く考えさせられる作品だと思います。私自身、子供時代を振り返ると、私は、いわゆる「出来の良い子」ではありませんでした。つまり私自身は、「ぼく」側の子供だったんだと思います。
エーミールのような恵まれた環境にいる子どもに対する「ぼく」の劣等感や嫉妬などの複雑な感情には、共感を呼び起こすところがあります。
子ども時代の不自由さと大人になること
子どもには、自分ではどうにもできない環境や状況があります。エーミールのように家庭環境や能力に恵まれている子どももいれば、「ぼく」のように劣等感に苛まれている子どももいるでしょう。
しかし、大人になると、責任は増えますが、自分で選べることが増えていきます。
子ども時代の不自由さとは違う意味で、大人になった今の方が「楽に」生きているなと感じることに気付かされました。
親としての成長
こうして「生き直し」や「学び直し」を通じて、子どもたちと一緒に私自身も成長し続けていると感じます。
過去を振り返りながら、今の自分が新しい視点で物事を捉えられることができるというのは、親としての特権かもしれません。ある意味では、親業の「福利厚生?」なのかもしれませんね。
子育ては、ただ子どもを育てるだけではなく、自分自身をも再び育て直し、学び直す時間だなーと思います。
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