して欲しくない事は他人にもしない やっぱり信仰心が必要みたいだね
闇バイトによる犯罪がたくさん起きてるけど、自分がして欲しくない事は、他人に対してもしないと言うのは、生きていく上での最低限のルールだよね。
やっぱりこれが守れないと、刑務所の中に入ることにもなりかねないし、どうやってこれがわかるようになるかは、大事な問題だと思うんだよ。
そこで東洋的には、やっぱり因果応報という仏教の考え方がベースにはあると思うんだよね。
他人がして欲しくない事をやってしまったら、回り回って、結局自分に降りかかってくるという考えだよね。
人気のお店を予約しておいて、ドタキャンするとか、本屋さんで万引きしたりとかすると、結局物価が上がったり、本屋さんの倒産が相次いで、街に本屋がなくなったりするけれども、結局、自分の問題として、自分に返ってくると考えたら、やっぱりやめておこうと言うことになるしね。
今日本では社会保障費が膨らみ続けているけれども、医療費がタダに近いと、自分の懐が痛まないから、そんなに必要がないことでも病院に行くことにもなってるかもしれないね。
これもまわり回って、保険料の増加につながるわけだから、やっぱりやめておこうと言うふうに考えるべきだけどね。
その奥にあるのは、生まれ変わりの考えだと思うよ。
生きてる間に悪いことをして、バレなければ大丈夫だと思うけれども、あの世で閻魔大王に裁かれたり、生まれ変わってくるときに、不利な立場に置かれるとか、因果応報の考えは逃れることができないと思えば、自然と自分を律するようになるからね。
キリスト教には生まれ変わりの発想がないから、その代わりに社会倫理というのが発達して、まともな市民であるためには、人の自由を尊重しなきゃいけないというのが常識的なルールになっていると言えるかもしれないね。
自由というのが近代的な市民社会の根本的な価値であって、悪いことをする人が増えると、社会の自由がどんどんと狭まったり奪われたりしていくから、それが悪なんだと言う考えと言う考えだろうね。
アメリカやイギリスでは、政治と教会を分離するプロテスタントの考え方が生まれたから、あからさまに社会の中で宗教的な発想を持ち込まないようになっているので、社会倫理と言う形で、勤勉さとか信用とか自助努力の精神とか、そんなものが倫理として尊ばれたんだろうね。
日本の場合は、仏教や神道や儒教がベースにあるしね。それが江戸時代には石田梅岩の心学になって、一般庶民にも浸透したし、それが、泥棒の少ない、ルールが守られる社会を作ったようだね。
東洋社会にしても、欧米社会にしても、どちらでもみんながルールを守ると言うことの根っこには、やっぱり宗教があるし、信仰心があることは否定できないみたいだね。
最近エマニュエルトッドと言う人が西洋の敗北と言う本を出したけれども、やっぱりこれを読んでみると、宗教が完全になくなってしまうと、社会そのものが狂ってきて、集団自殺のようなものが始まると書いてあるよ。
エマニエルドットはこれをニヒリズムの蔓延と言ってるけどね。
善と悪とがひっくり返ってくると、悪いことをすることに何の躊躇もなくなってしまうし、そこから自分の快楽や利害や損得計算だけで、平気で人を殺すような発想が生まれてきて、それを正当化する尤もらしい考えも生まれてくるんだと言ってるよ。
エマニエルトッドはバイデン政権とヒトラーのナチスはニヒリズムと言う点では共通点を持っていると言っていて、ウクライナ戦争をなぜアメリカが起こしたかということの理由にもしてるしね。
やっぱり人間は神から作られた神の子であると考える信仰心を持っていれば、どうしても神様や仏様の眼差しと言うものを気にするからね。
そして神仏と言うものが、慈悲とか愛の塊だと思えば、それに近づくために良いことをしようとするし、これが真なる自由の発揮と言うことにもなるんだろうね。
ジョントットはトランプ現象は一種のニヒリズムの発揮だと思ってるみたいだけれども、それはちょっと違うと思うけどね。
やっぱり信仰心があると言う事は、勤勉に働くと言うことだし、勤勉に働きたいまともなアメリカ人が革命を起こしたのが、トランプ革命だと思うけどね。
とにかく闇バイト気軽にやったり、凶悪犯罪が平気で若い人の間で起きているとしたら、これは今までの戦後の日本のあり方に大きな警告が発されていると言うことだしね。
もっと神様や仏様の眼と言うものを気にすることが必要かもしれないね。
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