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いかに関心を持たないようにするか 人生を破滅させるもので、この世は満ちているからね
人生を最後までまともに生きていくためには、関心を持ってはいけないものがあるね。
例えば中高生にとっての異性交遊だよ。
よく電車で、すでに肉体関係を経験しているみたいな感じで、べたべたにいちゃついてる高校生を見ていると、早くから人生につまずいてしまっている感じがするよ。
それからもう少し大人になると、ギャンブルが出てくるよね。ビデオゲームに、いい歳をした大人がのめり込んでいるのもギャンブルの1つだと思うけどね。
ギャンブルやビデオゲームが問題なのは、生産性がほとんどないっていうことだよ。だから、ほどほどにしないといけないよ。
どうすれば避けられるかだけど、やっぱり、いつも人生に目標を持ってないといけないね。
基本的に人間は同時に1つの事しか考えられないんだよ。2つのことを同時に考えるということはできないんだよ。
だから、例えば資格を取ったりすることを目標にしていれば、1日何時間かは勉強しないといけないし、明らかにゲームの時間は減るよね。
この問題は、目標が実現してしまったら、リバウンドしてしまうということだろうね。
だからなかなか達成しない目標を持っているのがいいんだよ。
幕末に横井小楠という思想家がいたんだけれども、この人は善の追求と言うことを殿様に説いたんだよ。
究極の善には、聖人君子といえどもたどり着けないんだね。
そして究極の善に到達できないということを、痛感しているのが、聖人君子なんだと言ったんだよ。
これは一種の人格主義だよね。
人格を極めるには終わりはないんだよ。
それに積極的に行動して、世の中をより良いものへと改善していくのも、人格を高めるためことには当然含まれるよ。
だけど、それは人から良い人だと言われたいのとは違うんだよ。それはやっぱり偽善なんだよ。
誰も見ていなくても、善をなすのが人格の力だからね。
こういった、人格を高めるとか、いつまでたっても実現しないような目標を、しっかりと追求していくと、人生の無駄がなくなるんだよ。
人格が磨かれた人が、ゲームをやったり、異性にうつつを抜かしたりは絶対しないからね。
もう少し我々日本人も、人格を高めると言うことを考えてもいいのかもしれないよ。