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自由には責任が伴う 自覚している人は少ないよ

自由には責任が伴う、ということを忘れている人が多いね。

男女関係だって、責任は伴うよ。

そもそも責任を取る気がないから、相手を傷つけることをやっても平気なんだよ。

今話題の性加害の問題も同じだよ。

無責任に、快楽をただで味わえると、そもそも思っているのが間違いなんだよ。

やっぱり恋愛には、無条件の自由はないと思ったほうがいいね。

それから責任を取るというのは、基本的には個人だよ。

いじめがそうだよね。

いじめた子供に、その責任をしっかり取らせることが大事なんだよ。

だけど学校では、先生が「どちらも悪い」みたいなことをやって、責任を回避するからいけないよ。

こうやって、うやむやにして終わらせるのは、ほんとに悪いよ。

やっぱり、いじめた奴が悪いんであって、親をちゃんと呼び付けて謝罪させなきゃだめなんだよ。

それから、この個人責任というのは宗教から来てると思うよ。

その典型は仏教だよ。仏教には地獄があるからね。

それから、キリスト教にも最後の審判というのがあるしね。

死んだ後で、裁きが待っているわけだけど、個人として神様と一対一で向き合わなければいけないんだよ。

これが個人責任の原点だと思うよ。

だけど、日本の神道には、こうした個人責任を問う考え方が存在しないんだよ。これが問題だと思うよ。

やっぱり神道よりも仏教の方が一段、高等宗教だと言えるだろうね。

それから責任を自覚することには、いいこともあるよ。人間として成長するからね。

会社でも、社員としての責任を自覚している人は、他人の分まで働くよ。

それからお世話になった恩返しとか、自覚が出てくるのも、責任を自覚しているからだよ。

新人時代というのは、全然稼いでいないからね。お荷物なんだよ。

そこで一人前になってから、今まで会社に育ててもらったことに対して責任を感じる人というのは結構少ないけど、見所はあるよ。

会社に責任を感じる個人が、何人もいる組織は強いと思うよ。

責任を感じる人が、内部から悪を指摘して、内部浄化ができるからね。

フジテレビが今立ち往生してるのは、会社のあり方に責任を感じて、問題提起をする勇気のある個人が、誰一人として存在しなかったからだと思うよ。

やっぱり責任を感じるということは、自由の裏側に必ず伴うべきものだし、それを自覚している人こそ、組織にとって、一番大事な人だと言えるだろうね。

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