7月7日は、シェフチェリの命日
1926年7月7日に、建築家のシェフチェリが亡くなりました。
シェフチェリって、誰?と思う人が多いと思います。簡単に言うと、チェーホフと交流のあった人で、チェーホフのお墓も造った人です。
今日は、モスクワ市内に現存しているシェフチェリの建築を紹介します。
1878年 М. И. Щаповの邸宅
1884年 パラダイス劇場
パラダイス劇場です。現在は、マヤコフスキー劇場になっています。
ソビエト時代に壊されたので、一部が復元されました。
1886年 商人А. В. Степановの住居
建物の全景はおさまりませんでした。
1887年 工芸博物館
数年にわたって修復中で、シートがかぶっていました。
まだ、完全に修復が終わったわけではありませんが、外観が見られるようになりました。
壁画もそれぞれ違うので、アップにしてみました。
建物の周りをぐるっと歩いてみます。
窓枠がそれぞれ違います。
ロシアらしいデザインで素敵なので、何枚も写真を撮ってしまいました。
修復中なので、コンテナもあります。
1888~90年 С. П. фон Дервизが所有していた母屋
1892~1898年 聖ペテロとパウロの福音ルーテル教会の死者の葬儀のための礼拝堂
1893年 クズネツォフの都市邸宅
彫刻などの写真も撮っていたら、通りがかったロシア人たちが、(この建物は、そんなにも有名なのか?)と思ったのか、建物を見始めた人がいました。
1893~1898年 Зинаид Морозовの邸宅
1894~1896年 クズネツォフの邸宅
当時の外観と少し変わっています。
1895~1896年 Г. А. Каратаев と И. В. と Е. В. Морозовの邸宅(現在はカタール大使館)
道幅が狭いので、全景はおさまりませんでした。
余談ですが、カタール大使館の向かいに、ヤマハがあります。
1895~1898年 А. В. Морозовの母屋の内装と中庭の建物の再建
1896~1904年 シェフチェリの邸宅
1898年 プロタソフの邸宅
1898~1903年 クズネツォフの理事会の建物
別の日に違う方向から歩いていたら、『クズネツォフ』という文字を見つけました。
さらに、この建物の説明が書いてあるプレートも見つけました。
1899年 神の母の降誕修道院内の神の母の降誕の大聖堂の西側別館
1899年 ワシリー・アルシノフの商館
1900 A.A. レベンソン高速印刷協会
1900~1903年 S.P.リャブシンスキーの邸宅
現在は、ゴーリキーの家博物館になっている建物です。
1900~1903年 В. В. АршиновとА. И. Аршиновの家
1901年 Н. С. Канのアパート
1901~1903年 モスクワ火災保険会社の家とボヤルスキー・ドヴォル・ホテル
1901~1904年 А. И. Дерожинскаяの邸宅と別棟
現在は、オーストラリア大使の邸宅になっています。
1901~14年 П. П. Смирновの邸宅
1902年 モスクワ芸術劇場の建物
街灯もシェフチェリの設計です。
2013年12月の写真なので、曇り空であれですが、イルミネーションの飾りがないので、すっきりしています。今の市長になってから、モスクワのあちこちは年中イルミネーションの飾りがあるようになりました。
この通りの街灯のデザインもシェフチェリです。
1902~04年 ヤロスラヴリ駅
屋根にソビエトのマークがありますが、シェフチェリが建設した頃は、まだロシア帝国でソビエト連邦はなかったので、このマークは後からついたと思います。
2024年5月に全ロシア装飾芸術博物館に行き、シェフチェリが建築した頃の古い写真の展示を見つけたので、載せます。双頭の鷲になっていました。他にも、現在と少し違うところがあります。
まだまだ、モスクワ市内にシェフチェリの建築物はありますが、たくさんになったので、今回はここまでにします。
続きは、シェフチェリの誕生日の記事に書きます。