【映画批評】『墓泥棒と失われた女神』未来を確定させる搾取者に「未確定を」
2024/7/19(金)より Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほかにて全国公開となるアリーチェ・ロルヴァケル監督最新作『墓泥棒と失われた女神』をビターズ・エンドさんのご厚意で一足早く観させていただいた。これが大傑作であり、2024年上半期ベストに選出した。
【che bunbunの2024年上半期映画ベスト】
1.世界の終わりにはあまり期待しないで(ラドゥ・ジューデ)
2.黄色い繭の殻の中(ファム・ティエン・アン)
3.ジャン=リュック・ゴダール 遺言 奇妙な戦争(ジャン=リュック・ゴダール)
4.墓泥棒と失われた女神(アリーチェ・ロルヴァケル)
5.けもの(ベルトラン・ボネロ)
6.Eephus(カーソン・ランド)
7.ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(アレクサンダー・ペイン)
8.落下の解剖学(ジュスティーヌ・トリエ)
9.Universal Language(マシュー・ランキン)
10.青春(ワン・ビン)
アリーチェ・ロルヴァケル監督はクラシカルなマジック・リアリズムを用いた作品を得意としており、『夏をゆく人々』では、地方都市の子どもたちにとってテレビメディアがファンタジーであることを強調した作品となっていた。
彼女は映画サイト"LaCinetek"にて好きな作品を51本挙げているのだが、そのラインナップを観るとシネフィル監督であることは一目瞭然。サタジット・レイからヴィクトル・エリセ、フェデリコ・フェリーニなどといった作品、ヴィットリオ・デ・シーカだけでなくヴィットリオ・デ・セータも押さえているリストとなっていた。
プレスシートによれば、今回の『墓泥棒と失われた女神』では以下の5本にインスパイア受けているとのこと。
1.イタリア旅行(1953、ロベルト・ロッセリーニ)
2.フェリーニのローマ(1972、フェデリコ・フェリーニ)
3.サンド・バギー ドカンと3発(1975、マルチェロ・フォンダート)
4.冬の旅(1985、アニエス・ヴァルダ)
5.アッカトーネ(1961、ピエル・パオロ・パゾリーニ)
今回は、そんな『墓泥棒と失われた女神』について批評していく。
未来を確定させる搾取者に「未確定を」
陽光さんさん降り注ぐ列車の中、アーサー(ジョシュ・オコナー)は微睡む。夢と現実の曖昧さをフィルム調、スタンダードサイズの画で捉えながら美しき女性が現れる。男の旅の目的地である。夢とは、過去の経験が醸造され浮かび上がるものである。夢の中にいる時、主体はそれを現実と捉え受容していく。夢から覚めるとそれは非現実であったことに気づく。しかし、世の中には「正夢」と呼ばれるものが存在する。夢で経験したことと同様のことが現実に現れた時、人々は「正夢」と認識する。つまり、夢とは過去であり現実であり未来でもある不思議な空間なのである。しかし、夢における「未来」は現実において夢での経験が現出した時にのみ「未来」であることが確定する。本作はこの特殊な夢の役割を搾取の構図に絡めて寓話に昇華させている。
夢で見た女性を追う男を追うように無数の群れの眼差しが注がれる。列車では、目の前に座る女性、靴下売りのおじさんが彼ひとりの世界を阻害する。強調するように列車の通路をウェス・アンダーソンさながらのコミカルな無数の眼差しによる凝視のショットが紡がれる。
イタリアの田舎町にやって来るアーサー。
ボロボロの家屋に身を潜めても次から次へと人々が彼のもとへやって来る。その流れで彼はエリトリア時代の宝を探す墓泥棒に手を貸すようになる。アーサーには特殊能力があり、木の棒を使ってダウジングをすることによって、エリトリア時代の遺跡を見つけ出すことができるのだ。
ここでダウジングの効果について検討する必要がある。ダウジングとは未来予知の一種である。未来予知とは、ある方法を用いて未来に起こりうることを特定することである。そして、その特定が確定したときに初めて「未来予知」となる。つまり、ダウジングで掘るポイントを特定したとしてもそこから遺跡が出てこなければ「未来予知」とはならないのである。
アーサーはダウジングにより未来予知することができる。それに漬け込んで墓泥棒たちは、宝を得る未来を確定させていく。アーサーは報酬にあまり興味ないらしいことを利用し、低い報酬で彼を搾取していくのである。この時のアーサーに着目すると、彼の目的は夢で見た女性に出会う未来を確定させることである。だが、それは中々かなわない。にもかかわらず、エリトリア時代の墓を掘り当てる未来ばかりが墓泥棒たちによって確定されていく。この関係性が搾取の構図を浮き彫りにしていくのである。
『墓泥棒と失われた女神』では、未来確定にいたるまでの宙吊り状態におけるマジックを映像表現レベルに落とし込んでおり、カメラが回転しながら逆さの画にシフトしていき、アーサーがバタッと倒れる演出が施されている。海外版ポスターにある、彼を逆さ吊りにし宝をせしめていく群衆像を映像化した表現である。
さて、搾取され続けるアーサーはどのようにして連鎖を食い止めるのだろうか?それは、分割された女神像の扱いによって果たされる。警察から逃げる形で女神像の頭だけ奪った泥棒集団は、オークションの場に現れ胴体だけ持つ者から金をせしめようとする。揉める双方を前にアーサーは女神像の頭部を海に捨てるのだ。強制的に未来を確定させてきた群衆に対して未来を「未確定」状態にすることによる復讐ともいえるアクションである。その後、アーサーは人々から嘲笑の眼差しに晒される訳だが、彼だけの空間で未来確定が行われ映画はハッピーエンドへと着地する。
打ち捨てられた遺跡は「過去」である。誰のものでもなくなったが、誰かが占有し、異なる歴史を踏んで良いものなのだろうか?アーサーは冒険の中で葛藤する。そして、家を追い出された者たちが廃墟となった駅を新しい拠点とするのを目の当たりにする。家族として、そこに留まることはできるであろう。しかし、彼は自分の中の「過去」、つまり忘れられない女の面影とのみ向き合い旅を続けるのである。
日本版新ポスターが良い
日本版の新しいポスターが先日公開された。現代美術家でありジュエリーデザイナーのスズキエイミさん(@eimi_suzuki)が手掛けているのだが、これが素晴らしい。日本の映画ポスター特有の妙な惹句や宣伝が過剰に入ったものではなく、画で勝負している。本作が未来を巡る宙吊り状態をテーマとしているので、女神像の頭部を運命の赤い糸で綱引きしている。また墓泥棒の話なので、地中にある宝が宙に吸い込まれていくような構図が採用されている。縦長ポスターの空間を意識した垂直の運動が心地よい作品となっており素晴らしかった。