泥酔文學
年末が近くなると、屋外に焦げたような匂いが立ち込める、この現象に名前などいらない。きっと明確な原因があるとは思うものの、その原因すらも探りたくはない。昨夜に引き続き、今夜も木片を燃やした時のような、甘味を含んだ香りがする。不思議なことに、昼間はこの手の匂いが一切しない。しかし夜も更けきった頃、気が付くとそこにいるのだ。ひょっとしたら、これほどの寒さに耐えかねて毎夜火を燃している人物がどこかにいるのかもしれない。
小学四年の頃、近所の公園の橋の下で火遊びをするという悪習が流行ったことがある。これは一緒に遊んでいた友人が、田んぼの畔に落ちていた1本のライターを拾ったことから始まった。当初小学校から目と鼻の先にある公園にて行われた擬似キャンプファイヤーは、娯楽のない少年に大きな衝撃を与えた。生き物のようにうねうねと動き続ける炎に目を見張り、消えようという瞬間にまた復活する真赤のそれに完全に心が奪われてしまったのである。幼い頃からあらゆる危険から遠ざけてくれた母親の気遣いを、自分自身でむしり取っていた。
田畑が6割以上を占有する地域で生まれ育った少年達の遊ぶ場所などたかが知れているものだから、この手の噂はすぐに拡がるし、一度散り散りになってしまってもまた同じ場所に戻ってくるような構造になっていた。ひと月経つ頃にはこれらの愚行に加担する少年はうなぎ登りに増えていき、やがて火遊びを敢行する拠点もふたつ、みっつと増えていった。最終候補として選ばれたのは当時人通りの多かった幹線道路を渡す橋の下で、周辺から拾い集めて来た藁や不要になったプリントなどをボンボン燃やした。火を灯して何をする訳でもなく、ただ燃え盛る景色を見つめるだけだった。
集団の中で一際尖っていたガキ大将が返却されたカラーテストを即日燃やし始めた頃から集団の歯止めが利かなくなり、自前でライターを準備するものや着火剤を持参するものまで現れた。人家もほど近い場所で最大2メートル級の大火を出していたのだから、今考えれば完全に狂っている。
灰になったそれらは予め準備したスコップを用いて、河岸の地中に丁重に埋められていた。炎が外から見えないよう場所の選定は慎重に行われ、日が燃え盛る最中には見張り役を置くなど、小学生とは思えない徹底的な管理体制を敷いていた。
11月も下旬に差し掛かった頃、いつものように火を焚いているところにあのガキ大将が遅れて現れたかと思えば、おもむろにポケットから取り出した容器から黄金色の液体を取り出すと、燻った火の中にその液体をなみなみ注ぎ始めたのである。膝丈ほどに留まっていた炎は瞬く間に高さを増し、底板に張り付くような形で炎上を始めた。やばいよ…なんて言うものなどひとりもいなかった。これまで火を眺め続けることで愉悦に浸っていた少年たちは寧ろ、その高さに喜んだのである。メンバー一同、総じて奇病にかかっていた。
" これこそが本物のキャンプファイヤーだ!"
気分の高揚も最高潮に達した瞬間、橋の上から
「こんにちは〜」 と声をかけてくるものがいた。見上げると制服に身を包んだ警官がふたり、こちらを見てニコニコと笑っていた。騒いじゃいけない…そう思いながら静かに鎮火作業に入り、いつものように地中に埋めることにする。しかしこれまでの残滓が思ったよりも高く堆積していたのだろう。地中から残骸がぴょこぴょこと顔を出してしまう始末。これに焦っている間に、ふたりの警官はすぐそこまで近付いてきていた。素早く斜面の窪みに火器を隠したはいいが、これまでの行いがバレるのも時間の問題だった。一斉に自転車に跨って、隣の隣の地区に位置する公園まで逃走を図った。
学校に連絡が入ったのはその後すぐのことだったらしい。今は亡きコンピュータ室で当時校内最強だった 「ヒゲゴリラ」先生に締めあげられ、四百字詰めの原稿用紙2枚分に渡る反省文を、述べ15人の人間が書くことになった。
ふと、そんなことを思い出した。明日もいつも通り出勤せねばならないというのに、こんな時間に酔っている。この私が、酔っている。普段一滴たりとも酒は口にしない。タイミングすらなければ、一年ほど酒を口にしない年だってある。アルコールの強さをジャッジする以前に、私はアルコールアレルギーを持っているらしい。摂取量を間違えると呼吸が困難になるほど、割と重めのアレルギーだ。3パーセントの缶チューハイですら致死レベルの私が、21パーセントのアルコールを飲み続けている。袖を捲ると案の定、紅斑が肌の表面にびっしりと出ていた。風呂に入っている最中から「今夜は酔ってやるぞー!」 と謎に意気込んでいたから、その意気込みは達成されたことになる。酒好きな人だって、ここまでトンチキな飲み方をしないだろう。
理由らしい理由はいくつもある。翌日に控えた研修の原稿修正は何ひとつ手をつけていなければ、成績すら打ち込んでいない。人より二倍近い作業時間を要する私だから、明日は職場を出られそうにない。いくら働けど、蛇足の労働に給料は一切発生しないのである。その思いをまずは打ち消すとして、、、やや濃いめのマリブコーラでスタートを切る。よーいドン!
初対面で「かわいい」と思っていた人がいる。メガネ女子かつ和美人に対しては一切心が振るわない私だったが、あまりのナチュラルな顔立ちに24年に及ぶ教訓も音を立てて崩れ落ちた。よろしくお願いします、という月並みな挨拶に胸が躍りかけた。本当に躍りかけで良かったと、つくづく思う。別の友人から 「〜の彼女だよ」 という紹介があって助かった。というのも、割かし近しい友人の名前が出たためである。この後何と口を開いたのかは覚えていないが「わ〜お似合いだ〜!」と心が確かに産声を上げたことだけは、衝撃と相まって記憶に新しい。長きに渡る蓄積を自分自身で砕いたのち、改札前で友人と解散した後に今度は物理的に膝から崩れ落ちた。思いがけない形で罪悪感を掴まされてしまって、なんとも最悪な気分だったのだ。何の因果か、そんなことを今思い出して、自発的にアルコールを胃に向けて流す。
幾度となく述懐しているように、金のない病をここ数ヶ月患っている。見栄張りな性格が災いして、正確な金額は記憶にないが、確かに他人に金を払っていた夏の思い出。たった今その負債を抱えて生きている。カイジですら作中で豪遊しているというのに、今の私はカイジにすら遠く及ばないほど、生活資金が枯渇している。調子に乗って大勢の子どもの前で銀行残高を声高らかに宣言したものの、数字の残酷さにここ数ヶ月ずっと打ちひしがれている。元来未来派でない私が、12月に支払われる下半期ボーナスを思いながら生活しているなんて、あまりにも惨めだ。おかげで趣味のフィルムカメラも撮り溜めたきり現像にも出せず、現像待ちのフィルムは現段階で5本に登る。1本あたり平均で3千円取られてしまうとして、、ここで潔く計算をやめた。残高がマイナスを記録する経験。単なる数字の癖に、一般的には遭遇しえない符号に思いがけず直面すると時間や趣味を駆使しても太刀打ちが出来ぬほどの、筆舌に尽くし難い苦しみを感じる。
「 地球のみんな!たのむ!たのむから""現金""をわけてくれ!みんなの助けが必要なんだ!空に手を上げてくれ!はやく!」
そう、言いたい。恥じらいなんて一切捨てて、声を大きく宣言したい。しかしそんなことを口に出したら、ミスター・サタンだって助走をつけて殴ってくるに違いない。ドラゴンボール、1ミリも見たことないけど。
半年前、マッチングアプリでマッチした女性から放たれた 「 INFP の人って合わないんですよね〜」 という言葉は今年一番のチクチク言葉だった。おかげでマッチングアプリがトラウマになり、果ては画面からこの手のアプリの一掃を余儀なくされた。こうしてアルコールで放心している時に限って、嫌な言葉ばかりが引き出されてくる。金だって引き出せないのに、こんなのあんまりだ。MBTI診断ってなんなんだ。この世界に存在する数億の人間が、16パターンに振り分けられることを許していいのだろうか。誰にでも該当するような項目を並べた、バーナム効果の羅列を信用するなんてあまりにも浅はかすぎるのではないだろうか。昔からこの手のものが嫌いだった。血液型占いも、星占いも、動物占いに至るまで、各個人の持つ主体性を真っ向から切り裂きに行くツールはなんとも許し難い。エンタメがエンタメでなくなってきている気がする。もしかして私、こういうエンタメを駆逐するために生まれてきた?!と思いながら、3杯目のマリブコーラを1:1の割合で作出する。反抗的な態度をとる癖に、時間をかけつつ定期的にMBTI診断をする自分が嫌いだった。INFPからの、INTP。項目を見るとまるで自分の鏡写しのように、痛い特徴ばかりを上げてくれる。
なんだそれ!情緒はもうジェットコースター。ひょんな部分から怒りが突出してくるこの状況は無沙汰の感覚。アルコールによって脳内が完全にブーストされている証拠だ。しかしこれほどまでに情緒が折れ曲がっているというのに依然として意識ははっきりしているし、現に文をペラペラと打ち出せる。全身が紅斑で覆われ、血圧が通常時の2倍に跳ね上がっても生活の最低ラインは忠実に守っている。シラフの状態でもまあまあ異常行動が目立つことは自他ともに認めるけれど、それなら理性の蓋がここまで頑丈である必要もないのではなかろうか。
呼吸が苦しくなってきたから、そろそろ大人しく布団にもぐることにするわけだけれど、明日目覚めてこの文章を読み下しても、大した驚きはないのだろう。残念ながらアルコールの力を借りて忌まわしい記憶を忘却できるほど、昔から器用な構造をしていない。何でもかんでもアルコールの責任にする人間は確かに大嫌いだけれど、アルコールによってタガが外れた人を見ながら羨ましいと思うことさえある。低身長、収集癖、怠惰、頑固。53歳で天界にテレポートした祖父から受け継いだものは山ほどあるが、唯一受け継がなかったものはアルコールへの耐性のみ。祖父ほど酒癖が悪ければ、今頃半径3メートルに位置する物体を何らかの形で薙ぎ払っているかもしれない。そう思うと祖父に似なくて本当に良かったと思う反面、私には気持ち良く酔ってみたいという欲求がずっとあって、それも年々膨らみ続けている。飲むことによる慣れというのもあるらしいし、挑戦したことは数知れないが、一貫してアレルギー症状は全速力で追いかけて来る状態だ。
規定量のアルコールを摂取した結果、限りなく自滅に近づいている。かの有名なカエンタケ(キノコの一種)は皮膚についた触れるだけでもかぶれを引き起こすほどの猛毒を持ったキノコだ。無論、口に入れればちゃんと死ぬ。その凶悪な毒性は周囲の植物をも枯らしていくわけだが、やがて枯れる植物もなくなると無栄養の土壌で野垂れ死ぬことになる。自身の毒性が生み出す、文字通り明らかなる自滅。今の私もカエンタケ宛らである。カエンタケと異なる点は、動かなければならないというところだ。
今学期、中一生に授業にてスプーンを作らせている。 " すくう部分を切断してしまうと、掬えない(救えない)スプーンになっちゃうよ " なんて小ネタを思いつきでかましたことを今更後悔しているし、既に二学級でこのネタを披露した以上、残りの二学級でも道化にならなければならないらしい。息がしづらく、気持ちが悪いのは、アルコールのおかげか、自身の行いのおかげか。いつもより吸い込める酸素の量が減衰しているようで、押し込んだ空気はすぐに口から漏れ出てくる始末。本当に救えないのは、もしかすると私の方なんじゃないのかな。