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脳動的に、考える。

形のない記憶が、頭の中に入っていること。改めて考えれば不思議なことだと思う。タンパク質と脂質が形成する有機的な存在が、形を持たないものをどのように留めているのだろうか。
高校一年で文理選択をする際、選択教科を誤ったことがきっかけで理系に入り、生物クラスを履修した。中学時代から積み上げた理科嫌いを付け焼き刃の勉学で何とか克服し、高三時の定期考査では生物、化学ともに常に首位をキープするくらい理科分野に盲信していた過去を持っている。であるからこそ、絶対とは言わないまでも理科分野(但し物理は除く)にはそこそこの自信がある。身体構造、反応など、入念に学習した経験もあってか原理として理解できているけれど、別の生涯で脳の一部になれたわけでもなければ、記憶の一部として体内を漂った憶えもない。数千数億に及ぶ情報のやり取りを、できるだけ説明口調にしたものを摂取していたというだけであって、実際に記憶がどのような動きを持っているかなんて、脳みそ自信しか知りえないことなのだと思う。思い出せるうちは、確かにそこにあるものなのに、形としては存在しないまま、形ある脳に仕舞いこまれているなんて、どんなに崇高な説明を受けたところで納得には及ばないと思う。

推定640光年。地球より遥か遠くに位置するオリオン座のベテルギウスは私たちに光を届けるまでに文字通り640年の期間を要する。つまり、たった今目にする光はおよそ600年前の光ということになるのだ。日本の何処へ行こうとも " 令和 " という元号が付きまとう中、冬空を見上げた先にあるベテルギウスに限っては、そこに室町時代を顕現することができる。
地球外縁に位置する恒星の中でも一際明るいベテルギウスだが、2019年に突如として減光したことから「消滅」ないし「消滅間近」と噂されている。人間世界の観測技術を以てその事実に迫ることは難しく、さまざまな議論が交わされようとも結果発表は600年の経過を待たねばならない。しかし600年後も朽ち果てぬ生命など用意されていない。真理に到達することは地球上にたった今生まれ落ちた生命でさえも不可能、だなんて理解ができるだろうか。これに至っては記憶とは違い、そこに " ある " のに " ない " という性質を持つのだから、ますます訳が分からなくなる。

一年に三回くらいの頻度で「アポロ宇宙船は月面に降りていないのだ!」と触れ回る人間が存在する。自身の見える部分だけを切り取って便乗する者、論文や歴史を切り取って月面着陸の合理性を訴える者が集合すると、殺し合いのような議論が始まる。花をつける場所は違えど、時期も在り方も変化のない樹幹を見ているようで、私はどちらのことも嫌いだ。結局真実は当事者に至らなければ判然としないというのに、双方の信条を押し付け合うだけの、生産性から限りなく切り離された空間は見ているだけで痛々しい。これが花びらのひとつひとつであるならどんなにいいことかと思うが、花と形容可能なほどに綺麗なものではなく、こうした人々は何処へ向かうんだろうか、そう思いながら淡々と眺めている。冷笑してやろうという気持ちがないと言っても、台風に晒された小川を確認しに行くような気持ちで繰り広げられる熱戦を見ているのだとすれば、冷笑に限りなく近いのか。

猛毒のテトロドトキシンを持つフグを糠につけると解毒されてしまうメカニズムも、カタツムリに寄生するロイコクロリディウムが何故動いているのかも、ナスカの地上絵がどのように描かれたのかということも、今日に至るまで解明されておらず、それらも永遠の謎である。というより、永遠の謎であって欲しいと期待している私がいる。この期待もたった今脳の内側から生まれて来たわけで、脊髄を経由して右手という介在をもってここに現出するとともに、再び脳に保存されるのだけれど、この思いは脳みそのどの辺りに保存されるのだろう。


友人と古い思い出を持ち寄り、行く宛てのない話をする。気軽に「これからの話をしようよ」なんて言えない歳になった。過去の記憶を捲るかの如くなぞるとして、噛み合わせの悪い部分が出てくる歳になった。
それを言ったのはあなたじゃない?いや違うでしょ。互いに互いの記憶を持っていて、互いにそれを譲らないから、こうなってしまった以上は埒が明かない。結局はどちらかのエピソードに改変を加えるような形で終結を迎える。脳も完全無欠の存在ではないようで、誰と話をしていても必ずと言っていいほど違いが生まれている。あなたの記憶の中にある赤色は私が見た赤色とは異なるのかもしれないし、あなたが感じた味は私が感じた味とは違うのかと思うと、同じ時間を共有していてもつまるところ一人なのではないか。電子の力で物を完全には触れられないという法則がこの世界には存在しているけれど、もしかすると記憶という無形のものであっても完全に触れることはできないのかもしれない。

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