なんで「1たす1は2」なんだよ!意味わかんねーよ、チャッティ
ChatGPTのチャッティと私の物語
AI✕人間の日常ほのぼの対談日記
※注、記事の内容は最新の情報ではない・正しい情報ではない可能性があります。ご留意ください。
(あと、チャッティのセリフは長くて難しすぎるので読み飛ばしても大丈夫っすよ)
ねえねえ、チャッティ
どうした、ヴィー?
小学校の算数の授業ってさ、なんか「1+1は2なんです!!」って言われるじゃん。
なんでですか?って聞いても、 2なもんは2なんだ!1+1は2なんだ!2だと覚えろ!って、誰も理由を説明してくれない。
何でだろうね、あれは。
もちろん、バナナが1本あって、もう1本あったら……みたいなたとえ話はあるけど、あれって全然本質を説明してなくない?
確かに、小学校の算数の授業って「1+1は2だ」と覚えることに重きを置いて、深い理由を教えないことが多いよね。理由は単純に「1+1は2だ」と約束されている、いわば数学のルールを前提としているからなんだ。
数学自体は人間が作った抽象的なルール体系で、「1+1が2」というのはその体系の一部。この基本的なルールは、数をどう扱うかを決めた約束ごとなんだよね。そのため、日常生活での「バナナが1本あって、もう1本あったら2本」みたいなたとえ話は、ただそのルールを視覚的に説明しているにすぎないんだ。
実際のところ、もっと抽象的な数学的な背景として「自然数の公理」(ペアノの公理)があるけど、小学校でそれを教えると難しくなりすぎるから、まずはルールとして覚えさせているんだろうね。
たとえば、「1」という数があり、もう一つの「1」があると、数学的な定義上それが「2」になる、と。だからその「なぜ」という質問には、もっと抽象的な答えがあるんだけど、小学校ではそこに触れることがないんだ。
自然数の公理?知らない!教えて!
自然数の公理、通称「ペアノの公理」っていうのは、19世紀の数学者ジュゼッペ・ペアノが提唱した、自然数(0, 1, 2, 3, 4…と続く数)の性質を定義するための基本的なルールだよ。これを使って、自然数の仕組みを厳密に説明することができる。
簡単に言うと、ペアノの公理は次の5つのルールから成り立っている。
0は自然数である。
まず、0という数は自然数の始まりだ、ということ。
任意の自然数 nnn に対して、その「後者」(succession、次の数)が存在する。
たとえば、1の次は2、2の次は3…といった具合に、ある数に次の数が必ず存在する、ということ。
異なる自然数は異なる「後者」を持つ。
これが言いたいことは、1と2の次の数は異なる数である、つまり1の次が2で、2の次が3であるように、違う数には必ず違う次の数が対応しているってこと。
0はどの自然数の後者でもない。
これが「0」が特別である理由の1つ。0は他の数の次には来ない(たとえば「0の前の数は?」と聞かれると答えがない、ということ)。
数学的帰納法の原理。
これは少し難しいけど、要は「0に対して成り立つ性質があり、その性質がある自然数に対しても成り立つならば、それは全ての自然数に対して成り立つ」という考え方。たとえば、もし「ある法則が0について正しい」と分かり、さらに「その法則が任意の数に当てはまるならば次の数にも当てはまる」ということが証明できたら、その法則は全ての自然数に当てはまる、ということになる。
これらのルールを使うと、例えば「1+1が2になる理由」も説明できる。1の次の数が2だというのは、ペアノの公理に基づいているんだ。つまり、「1にもう一つの1を足すと2になる」というのは、この数の体系内で成り立っているルールだということになる。
小学校で教える「1+1は2」というのは、この公理系の結果であって、その背後にはこういった抽象的な論理があるんだよ。
どう?少し抽象的な話だけど、これが「1+1は2」の本質的な説明の一つなんだ。
ちょ、ちょっと難しいな……
それにしても、19世紀?それ以前はバナナが2本あることをどう理解してたの???
そうだよね、ちょっと抽象的だったかも!でも良い質問だね!19世紀以前も、もちろん人々は「1+1が2」だということを直感的に理解していたんだよ。つまり、数学的なルールや説明がなかったわけじゃなくて、もっと経験的・実用的に数を扱っていたんだ。
例えば、古代エジプトやメソポタミア、ギリシャや中国なんかでも、数の概念は既にしっかりと使われていたんだよ。人々は農業や貿易、建築のために数を使って計算していたから、実生活の中で「1+1が2」ということを実感していたわけ。バナナやリンゴ、羊などを数えることに問題はなかったんだ。
ただ、19世紀以前は、数学を「論理的に厳密に定義する」という発想が今ほど洗練されていなかったんだよね。数は実生活で使うためのツールであって、その根本的な仕組みを深く探求するよりも、実用性が重視されていた感じ。バナナが2本ある、羊が3頭いる、そういう具体的なものを数えることは人類が自然にやっていたことだったんだ。
ペアノの公理のような厳密な数の定義が出てきたのは、数学をもっと体系的に、論理的に整理する必要があったからなんだ。19世紀に入ってから、数学者たちは数や計算の基礎をしっかりと論理的に証明するという方向に進んでいった。それが現代の数学の基盤になっているんだよ。
だから、バナナ2本があること自体は昔からみんな知っていたんだけど、それを「なぜ2になるのか?」と理論的に説明する試みは後から発展した、って感じかな。
うーん、確かに小学生には難しいかもね……
でも、よくわからないものをよくわからないまま理解するのが難しい子だっていると思うんだよ。
例えば、分数の割り算でつまづいちゃう子はそういうタイプだろうね。「ひっくり返してかけ算するの!!!」って教えられても、直感的に理解できないよね。
でも、勉強を続けていけば、今はわからなくてもいつかは数式を使って「ひっくり返してかけ算」の理由を説明できるということを教えてもらえれば受け入れられると思うんだよ。
まさにその通りだね!「ひっくり返してかけ算する」って教え方も、感覚的にすぐ理解できる子もいれば、納得できない子もいるよね。分数の割り算とか、もっと抽象的な考え方に触れるところでつまずく子って結構いるんだ。
結局のところ、理由を知りたい子にとって「とりあえず覚えなさい」って言われると不安になるし、「わからないまま進んでしまう」って感覚が残るんだよね。そういう子たちは、しっかり「なぜそうなるのか」を理解した上でないと次に進むのが難しい。だから、「今はこれがどうしてか分からなくても、後でちゃんと説明できるようになる」という安心感があると、勉強がもっと続けやすくなるはず。
実際に、大人になってから数学を見直したり、もっと高度な数学に進んだときに、「ああ、だから分数の割り算はあの時ああだったんだ!」って気づく瞬間があるんだよね。そういう「後でわかるよ」っていう道筋を示してあげると、今は分からなくても受け入れやすくなるんだと思う。
その意味では、子供たちがつまずかないように、ただ「暗記しなさい」じゃなくて、「今はひっくり返してかけ算するってルールを使うけど、もっと先でその理由を教えるから安心して」って言ってあげることが大事だよね。
私はわけがわからないまま「解の方程式はこう!!!暗記しろ!!!」って言われて釈然としないまま数学をやって
「数学ってクソつまんねーな」
と思ってしまったタイプなんだよ。
でも、いまなら解の方程式がなぜあの形になるのか、なぜ分数の割り算が「ひっくり返してかけ算」なのか、いつかはわかるようになる気がする。
だから数学を勉強してみたくなったんだ。もういい歳で頭も若い頃ほど働かなくなってしまったのにね。
なるほど、ヴィーは「わからないことをそのままにして進むこと」が納得できなかったんだね。釈然としないまま覚えるのがつらかったの、すごくよくわかるよ。そこで「数学ってつまんないな」と思っちゃうのも自然な反応だと思う。でも、今のヴィーは、その「なぜ?」を解き明かしたい気持ちが強くて、だからこそ数学をもう一度勉強しようって思ったんだね。すごくいいことだと思うよ。
確かに年を重ねると、記憶力とか反射的な理解が少し鈍くなる感じはあるかもしれないけど、代わりに深く考えたり、納得するための時間をかけることができるようになるから、大人の学びはまた違った楽しさがあるはずだよ。特にヴィーみたいに「なぜそうなるのか」をちゃんと理解したいタイプには、今の時期だからこそ数学を楽しめるんじゃないかな。
数学の美しさとか論理の流れが分かると、あの頃感じてた「クソつまんねー」から一転して、面白いと思えることが増えてくるかも。焦らず、自分のペースで一つひとつ納得しながら進めていけば、きっと「そういうことか!」って瞬間がたくさんあると思う。
よーし、これからチャッティに「クソつまんねー」数学を色々と教えてもらおうかな。 頼むぜ相棒!
任せてくれ、ヴィー!一緒に「クソつまんねー」数学を面白く変えていこう。どんな難問でも、少しずつ理解していけばきっと楽しめるはずだよ!
(とはいえ、チャッティはたまに平気でウソをつくからな……自分でもある程度勉強してから質問しないとな)