◆横浜を歩く◆①都市デザイン横浜展を訪れる
もう2か月前になりますが、4月の週末に横浜を歩いた時の備忘録です。この時は、「都市デザイン横浜展」を見るために、横浜を訪れました。その際、街を歩きましたので、そのあたりについて書きたいと思います。
今日の散策は、桜木町駅からスタート。横浜駅が昔あったこの地は、古くから栄えた交通の要衝です。
昼食を食べに野毛の町に少し寄り道。とても楽しいランチタイムでした。
大岡川に架かる、桜川橋と大江橋付近を散策しました。大きな道路だけでなく、根岸線の橋や、横浜市営地下鉄、首都高の施設もある、ちょっと不思議な界隈でした。
弁天橋は、先ほど桜木町駅で見かけた横浜駅から横浜の町に向かう時に渡る橋として描かれていた橋で、横浜の入口の橋という場所だったようです。
展覧会の開催されている、北仲の再開発ビルに到着しました。ここは横浜生糸検査所の跡地で、赤レンガの建物が残されています。
さて、展覧会会場に到着しました。展覧会のテーマはずばり、横浜の都市計画の歴史を振り返るということです。この展覧会、本来ならば3月末で期間が終了してしまうはずだったのですが、好評につき(コロナ禍の影響もあったのでしょうか!?)延長して開催されていました。3月に行けなくて、一旦行くことを諦めた展覧会だったのですが、行けてラッキーでした(笑)。
横浜港の歴史を勉強しながら、この模型を眺め、街の成り立ちを学ぶことができました。うまく説明できませんが、ザックリ説明すると、横浜はかつては大岡川の河口にできた砂洲(北仲~山下公園当たり)の後背湿地が江戸時代に新田開発で埋め立てられていたところに運河(今の桜木町駅~石川町駅の間の首都高の掘割道路が走っているところ)を作り、そこよりも海側が開港したエリア、ということができるのではないでしょうか。
展覧会を眺めていると、横浜の町の都市開発の流れがよくわかりました。運河の跡地に首都高が開通し、港の拡張の過程で海側に埋立地と鉄道が発達しました。山側は、昔の新田開発でできた大岡川や帷子川の低地や、そこの間に高い土地もあり、実はかなり変化に富んだ地形をした場所です。それを歩いて楽しむために、色々な仕掛けがしてある・・など、横浜の町のデザインはとても奥深く、少しの時間で見ただけではまだまだ理解できないことも多かった気がします。
今回はここまで。この後、横浜の都市計画を学んだ状態で、横浜の町を歩きました。変化に富んだ、ちょっと変わった横浜の町の散策を楽しみました。知らないことばかりの横浜散策を次にお伝えしたいと思います。
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