【南大沢土木構造物めぐり】No.21 大栗川の「旧河道」をたどる
表紙の写真、大栗川の旧河道の一部になります。奥の住宅の擁壁から排水管がいくつか見えており、道路にガードレールがある場所もあり、水が流れていた頃の風景を想像することができるでしょう。大栗川は、昔は谷筋の中を蛇行して流れていました。おそらくさらに昔は、谷全体に堆積物を堆積させていたことからしても、谷全体を自由に流路を定めずに流れていたと考えられます。そんな大栗川や南大沢に向けて流れる大田川も、多摩ニュータウンが開発された1970~1980年代に直線化されて川幅が広げられる河川改修が行われました。河川改修が完了した箇所では、一部は区画整理されて旧河道が跡形もなく消え去ってしまっていますが、上柚木から鑓水にかけての大栗川では、古い大栗川の痕跡を至る所で見つけることができます。そういう風景を歩いてみたいと思います。
【現在と過去の流路比較】
下記に「今昔マップ」で大栗川周辺の古地図を示します。今の地図との対比は、リンクをクリックすると参照できます。現在の大栗川は、由木街道に沿って直線に広い川が続いていますが、昔の大栗川は蛇行を小刻みに繰り返していました。昭和に入ってからも、鑓水周辺の蛇行が一部解消されたりして、小刻みに河川改修が進められていたようですが、1970~1980年代の回収で抜本的に流路が改められました。では、実際の旧河道をたどる旅、古い地図の「大片瀬」から上流に向かっていきたいと思います。
【栗本橋ってどこ?】
散策のスタートは下記の写真の場所。右側が片側2車線の由木街道の新道で、左側は旧道との分岐点です。どこに旧河道?というのは、もう少し後で説明します。
由木街道に、「栗本橋」というバス停があります。大栗川の橋の名前かと想像しますが、近くの大栗川の橋は、「大田平橋」であり、栗本橋という橋はありません。では、どこに?
実は、先ほどの新道と旧道の分岐点の大きな木の下に、橋の高欄が残されています。写真では見えにくいですが、縦書きで「くりもとばし」との表記が見えました。ちょうどこの旧道と直行する形で、大栗川の旧河道があり、そこに「栗本橋」は架かっていたようです。
「くりもとばし」の山側に、このような空き地があります。これこそ、大栗川の旧河道の痕跡です。そういう気持ちで眺めていると、川が流れているように見えてきませんか?
下の写真は旧河道から栗本橋を振り返ってみたところ。
旧河道上は、小川にコンクリートの蓋を被せたような痕跡が続くので、一目でその跡をたどることができます。このあたりは谷の縁部を流れていたようです。
蛇行というのにふさわしいような流れをしています。この道路の道なりに左に続いていきます。
この写真のような崖っぷちを昔は大栗川が流れていたようです。
崖には岩肌が露頭し、少し横穴のようなものも見られました。戦時中の防空壕か何かでしょうか。少し現道から逸れただけで、古い時代にタイムスリップしたような感覚になります。
一度現道に近づきそうになったところで、また右に90°曲がります。
曲がった先も、いかにも旧河道を塞ぎました、というような空間が続きます。
道路を横断する部分に、暗渠がこんな形で見える場所がありました。旧河道も完全に埋められたわけではなく、この地区の雨水を排出する役割はまだ少し担い続けているようです。
もうしばらく進むと、この先で現道と交差して旧河道は姿を消します。
と思ったら、どうやら新しい大栗川の反対側に旧河道があるようです。そちらに移動してみましょう。
大栗川の対岸で、このような形で空き地として旧河道が残っていました。
やはり川がいつ流れてきてもおかしくないような光景です。なぜ空き地のままかというと、もともと河川は公共用地なので、新しい河川ができても、払い下げや区画整理などが進まないと、公共用地は公共用地のままなので、再利用されない限り、空き地のまま残され続ける、ということになるのです。
旧河道は、一部新しい住宅地の道路に転用されたようです。奥は転用されていない空き地、手前は道路に転用された部分です。
ほんの少し道路に転用された部分を経て、またこのような空き地が出現します。ここでもう一度大栗川を渡ります。
大栗川を渡った先は、このように舗装されていますが、車止めがあるのでちょっとした遊歩道のように使われています。最初は「どこが旧河道?」と思いますが、慣れてくるとここも旧河道ということがすぐわかるようになります。少しこのような景色が続き、もう一度現道と大栗川を交差します。
交差した先では、谷の南縁を流れるようになります。
上記のどぶ川のようになっている水路が、大栗川の旧河道になります。途中には、橋も架かっており、川だった時代をほうふつとさせます。この辺りは、旧河道の雰囲気を色濃く残します。(表紙に飾った写真も、ここの地域の現況になります。
このような状態が続き、旧河道は現在の大栗川と合流し、鑓水の御殿橋周辺に到着します。旧河道の痕跡をたどる旅、非常に楽しいです。
【終わりに】
現在の大栗川の写真を見ていない方は、旧河道だけ眺めていてもイメージがつかないですが、そこは地図だけ見ていただき、新しい河道はあえて紹介しない状態で書きました。最後の写真は現在の大栗川になります。今はもうこの姿が「当たり前」になり、蛇行する大栗川はもう過去の風景でしかありませんが、その痕跡はこの地域ではたくさん見ることができました。
次回は、現在の大栗川とその橋、それが架かった時期などを見ることで、河川改修がどの時期に、どうやって行われてきたかを確認したいと思います。
また、改修前の大栗川と未開発の状態の谷戸を比較することで、旧河道と農耕との関係などを今後取り上げていきたいと思います。
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