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■丹沢・大山を歩く■⑥大山への玄関口を歩く

丹沢・大山の山の上から降りてきて、山の下の町と参道を歩いています。前回は、大山ケーブルの駅から、大山の町を歩きました。今回は、さらに下の玄関口付近を歩きました。
(前回はこちら)

大山駅バス停。大山の町の真ん中にあるバス停です。

大山駅バス停。鉄道の駅はありませんが、なぜか「大山駅」です。

大山駅バス停にある、「丹沢大山国定公園」のアーチ。

大山駅のバス停近くに、丹沢大山国定公園のアーチが。本来、「ここから大山ですよ」というような案内をしているように感じます。

芝八雲講の石碑。「大正12年9月1日 大震災再起建立」との文字が。
芝區 漁商組合 の文字もあります。

芝(いまの東京都心の田町や三田付近)の講者の石碑がありました。やはりここにも大震災再起建立の文字が。芝付近の魚商などが建てた石碑のようです。

アーチの背後には大山が。絵になる光景。

丹沢大山国定公園のアーチの背後に雄大な大山が見える、絵になる光景です。

アーチの脇に、大山公民館があります。

ここに、大山公民館があります。昔の役場の役割を果たしていたのでしょうか。

大山駅バス停前の駐車場のところにある、清水屋さんというお店。
おしゃれな店内で、おぜんざいを堪能。沢庵とぜんざいの組み合わせが良かった。

大山駅で、ぜんざいを食べてしばし休憩。とてもおいしかったです。

おしゃれな店内。
店内の凧が印象的。「世界進出」とか書かれています(笑)。

なかなか楽しいお店でした。

この駐車場から分岐する林道阿夫利線。大山寺まで車で登れる道です。

この大山駅の駐車場から、③で紹介した大山寺の阿夫利隧道までを結ぶ、林道阿夫利線が分岐します。

この場所は、元々バスもここまでしか登ることができなかったので、大山登山の古い玄関口の役割を果たしていたようです。
今昔マップで確認してみましょう。

今昔マップの、大山駅バス停周辺。1950年前後の地図(左)の
「役場支所」と書かれた場所が大山駅バス停。

大山駅バス停は、左の戦後間もなくの地図でいうところの、「役場支所」と書かれた場所です。そこまでが、地図の道路が実線であるのが、上流側は点線に変わります。まさにこの場所までしか車が来られなかったようです。

ちなみに、「大山駅バス停」までは、かつて平塚・伊勢原まで、「トロリーバス」で結ぶ計画があったようです。トロリーバスは、実はバスではなく、「無軌条電車」という分類となり、法規上は「鉄道」に分類されます。また、この大山駅バス停から、ケーブルカーのある追分駅(今の大山ケーブル駅)までは、ロープウェーで結ぶ計画もあったようです。それらの計画については、こちらの[「相武電鉄資料館」さんのサイトが詳しいようです。

さらにバス通り(旧道)を下っていきましょう。

新玉橋。旧街道らしい佇まいです。

新玉橋を渡ります。過去にはここから追分までをロープウェイが結ばれる計画があったようです。もし実現していたら、こま参道やとうふ参道などは今ほどの賑わいが無くなっていたかもしれません。

大山小学校。「みんなの学校」というネーミングと児童手作りの札が良いですね。

少し伊勢原方向に向かって坂を登ると、大山小学校が見えてきます。地域に根差した学校、羨ましいです。

小さな沢に架かる橋

小さな川に架かる橋があります。

現道のすぐ脇に旧道の橋を見つけました。

その隣に、昔の橋と思われる遺構が。昔の街道の名残のようです。

大山阿夫利神社の鳥居。大山の町の入口のような場所でしょうか。

大山阿夫利神社の鳥居です。ここまで散策してみたかったのです。

鳥居前と言う名前のバス停と、鳥居を寄進した記念碑が並びます。
鳥居越しに見る、夕暮れの大山。

この鳥居越しに見る大山。歩いて大山講で訪れた旅人には、いよいよ大山に着いたと気持ちを高揚させるばしょだったのでしょう。

だんだん新道が整備され、この道は旧道に。

新道が少しずつ麓に向かって延伸されているようです。この街道も、バスは走るものの、車の通行は多くありません。

子易バス停。「こやす」と呼びます。

子易(こやす)バス停に着きました。大山街道は、これから先も子易地区にまた興味深そうな神社などが続いていますが、今回の探索はここで終了。夕暮れのバスに揺られて、伊勢原駅に戻ります。
次回は、少し番外編、バスの行先である、伊勢原駅近くを少し歩いて見ましたので、そちらをご紹介します。
(続きはこちら)

【終わりに】
ふらりと歩いた大山詣でとその下の町の散歩。大山街道の昔の玄関口、大山駅付近や、大山地区の入口に当たる場所にある鳥居を眺めて、昔の大山詣でを想像しました。今は車やバスでアクセスすることが当たり前になり、麓の地区はだんだん普通の町のようになりつつあるのかもしれませんが、大山詣での雰囲気を残したこの地区を大切に受け継いでいければよいと思いました。

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