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★大山街道(柏尾道)を歩く:⑤石倉橋を目指す

ゴールデンウィークの途中に歩いた大山街道・柏尾道の街道歩き。海老名市の門沢橋駅から歩いていますが、つい調子に乗ってしまい、下糟屋からさらに先の、石倉橋を目指すことになりました。日が傾き始めた時間帯、大山に近づき次第に扇状地の端部に差し掛かるようになるあたりを歩いた様子を紹介したいと思います。
(前回はこちら)

今回歩く範囲を、まずは今昔マップで確かめます。

今回歩くルート。右下の「田中」集落付近から、
太田道灌墓を通り、上粕屋・石倉を目指します。
この細い道が大山街道です。
おおやまみち 三軒茶屋という名前が目につきました。
三軒茶屋の説明看板。地元ボランティアが整備しているのでしょうか。
歩いていると、団地の高い給水塔が目につきました。
「厚木18」というボックスカルバートが、大山道であることを
さりげなく地元の方が設置した看板が物語っています。

大山道は、東名高速の下を通ります。6車線化して、広くなったであろうボックスカルバートです。このあたりは、週末になると渋滞するスポット。事故渋滞の時などに、この側道もお世話になったことがあるような。。そんな場所を通ります。

東名の側道の傍らに、古い石仏が。やはり旧街道の名残は
都市化されてもきっちり残っているのですね。
東名を越えると、だんだん山に近づく感じがします。
豊富な水量の用水路が流れています。
こんな趣のある場所も通ります。
ここの場所には、「橋供養塔」が建っています。
後ろは伊勢原に本社がある自動車部品メーカー:市光工業の寮です。

ここに流れる用水は、大山を源流とする川の流れから水を取った、「千石用水」で、そこに架かる3か所の石橋の橋供養に建った石碑のようです。今は石橋も車を通すために改良されて、あまりそんな雰囲気が無くなってしまっているようでした。

橋供養の石橋も、架け替えられてしまった感じですね。
電柱には、「〆引支線」の文字が。

このあたりの地名は、「〆引(しめびき)」と呼ばれる地名です。昔の地図には、「七五三引」という感じが当てられていました。今の地名はちなみに「上粕屋」です。ちゃんと児童館の名前には、この地名が残っているようですね。

これは、昔の石橋の部材なのでしょうか??
市光工業の寮の前は、新東名高速道路の現場事務所の敷地として使われていました。
あ、やっぱり結局土木目線で見ていますね(笑)。
木の電柱に古い広告看板。秦野市の宝石商の看板でしょうか。
しばらく歩くと、洞昌院という立派なお寺が。
このお寺のすぐ隣に、道灌のお墓(胴塚)があります。
太田道灌公の墓 と書いた石碑。
あれ、よく見ると他の文字が。別の石碑から転用したのでしょうか??
ここにも、関東大震災で倒壊したのを復旧した、という記念碑がありました。
すぐ近くには、七人塚と呼ばれる、殉死した人を祀るとされる石仏もあります。
こちらは、上粕屋神社の参道。何だかとても立派な参道です。
とても立派な樹木がある境内でした。
大山道の昔の道標が保存されています。
山王橋と呼ばれる橋です。
いよいよ、石倉橋へ。不思議な石塔のようなものが残っています。
これが「石倉橋」だったのかな?と勝手に想像。
石倉橋バス停に到着。ここで、今の大山へのメインルートである、
伊勢原駅から大山に向かう道路と合流します。

柏尾道大山街道は、石倉橋で伊勢原駅方面から来る大山道と合流し、ここから大山に向かっていたようです。大山街道めぐりはここまで・・ですが。。
ちょっと気になっていたのは、「石倉橋」という地名があっても、その肝心な橋が見当たらないことでした。やはりこの周辺にそんな名前の橋は無かったです。。
恐らく、先ほどの小さな石塔があったところで、大山道が水路を跨いでいる(今は暗渠になっている様子)ので、それが「石倉橋」だったのかな?と推理しました。(大貫さんとずっと帰り道に謎解きをしていました(笑))。

■おまけ
少しだけ石倉橋周辺を散策しました。

最近、新東名の伊勢原大山ICができました。そこにつながる道路です。
ある意味「令和の大山街道」なのでしょうね。
石材店を発見。大山講の皆さんが建てた石碑も、
こういう石材店が大活躍していたのでしょうね。
古い橋に降りていく道を発見。行くしかないです(笑)。
夕映えの大山。いい景色です。
崖下橋 昭和33年竣工。なかなかいい味を出しています。
今の大山街道のバイパスの脇に、古い橋が架かります。
新しい橋は、【新竹ノ内橋 2021年竣工 神奈川県 設計 日本エンジニアリング
施工 昭和コンクリート工業】

新しい橋の名前から類推すると、この古い橋は「竹ノ内橋」だったのでしょうね。古い石仏もすぐ脇に鎮座していました。

古い橋、何だか素敵なデザインに見えます。

石倉橋からは、大山と伊勢原駅を結ぶバスが頻発しているので、それに乗って帰りました。大山登山の疲れ果てた満員の乗客を乗せたバスがわずか10分程度で伊勢原駅まで運んでくれて、その速さに驚きました。

■終わりに
大型連休中に楽しんだ、大山街道歩き。私の知らない神奈川県央地域を歩く機会を得られたのと、のどかな街道筋に太田道灌のゆかりの場所などが随所にあり、とても見どころ満載の1日でした。同行した大貫さんの地元愛と大山街道への熱い思いが溢れるガイドのおかげで、とても楽しく歩くことができました(笑)。
再び今回歩いた地図を振り返ると、(あえて今の地図で)

今回歩いたのは、右端の門沢橋駅から、左の産業能率大の近くまでです。

実は、開通した新東名を走ると、海老名南JCTが起点で、おそらく数分で走り切って伊勢原大山ICまでたどり着いてしまうところを、1日かけて歩いたのでした(笑)。そう考えると、今の車社会はとても便利なものですね。「令和の大山道」は、すっかり新東名になってしまい、登山客も多くが車で来る時代が来ていると思います。しかし、古い街道筋を歩くというのも、またとても意味深いものであることを再認識しました。

是非、こんどはさらに先の大山を目指して歩き、大山講の宿泊した宿坊に泊まってみたいと思いました。


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