◆横浜を歩く◆④石崎川沿いを歩く
横浜を歩く街歩き。前回は、東急東横線の旧線路沿いに桜木町から旧・高島町駅跡を目指して歩き、様々な鉄道の歴史に触れました。今回は、石崎川沿いを歩いた記録について書きたいと思います。
(前回はこちら)
■帷子川・石崎川について
帷子川は、横浜駅近くを流れる川です。今の相鉄線沿いを流れ、横浜駅のすぐ南側で東京湾に注ぎます。昔はこの地区は平沼と呼ばれる入江だったようですが、明治初期に鉄道を通すために、入り江に築堤し、線路を通したことで有名です。高島嘉右衛門が土木工事を行ったため、地名として高島町と言う名前が残っているとの話があります。
その後、横浜駅から西側(大阪方面)に抜ける線路が、最初は桜木町駅から折り返して西に向かう線路ができ、その後高島町駅付近で西に折れる線路ができ(桜木町駅での折り返しを解消)、そして今の横浜駅からまっすぐ西に向かうルートに変遷しました。
今回は、石崎川(帷子川の南側の支流のイメージ)沿いを歩き、西に向かう廃線の名残等を眺めながら歩きます。
石崎川沿いにあるのが、横浜市下水道局の桜木ポンプ場。西区の汚水を引き受け、神奈川水再生センターに送るための施設です。
このあたりの橋は、震災復興の際に架けられたものが大半を占めます。関東大震災は、1923年に発生したので、来年がちょうど100周年に当たります。震災復興の橋梁が100周年を迎える日も、そろそろ近いようです。
昔の東海道本線の廃線敷は、石崎川に平行したマンションの敷地となり、細長く今も残っています。
石崎川をさかのぼると、浜松町交差点に差し掛かります。ここは、国道1号(昔の東海道)と国道16号(昔の八王子道)が分岐するところです。つい先日に旧東海道の追分を探索したので、現代はここに追分が移ったのかと実感しました。
石崎川沿いに歩き、線路を越えて西横浜駅前に着きました。今回はここまで。夕暮れの横浜の町の散策、もう少し続きます。次回は西横浜からお隣平沼橋まで相鉄線の電車に乗り、横浜駅まで散策します。
■終わりに■
石崎川沿いも、震災復興橋梁の数々や、旧東海道本線の廃線敷など、みどころがたくさんある場所でした。あまり時間がなくて駆け足に散策した西横浜駅前も、とても見どころ一杯の場所のように思えました。もう少し続いた先にも、色々と面白い場所が出てきますのでお楽しみに。
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