◎仙台市内の夜の街歩き◎~榴ヶ岡駅から仙台駅を目指す
仙台へ出張中に訪れた、東松島市と塩竃市の被災地への訪問。津波で被災した野蒜駅周辺や、本塩釜駅周辺を眺めて、改めて東日本大震災の津波の凄さと、そこからの復興の状況を目にしてきました。塩竃市内のお寿司屋さんの味も最高でした。
(前回の記事はこちら)
その訪問だけで満足して戻ればよかったのですが、仙石線を仙台まで乗り切ろうとしたその直前の駅、榴ヶ岡駅で降りて、一駅分散策してみようという街歩き好きの気持ちが出てきて(笑)、夜の散策を開始した状況をお伝えしたいと思います。
■榴ヶ岡駅周辺の状況
榴ヶ岡という駅、京都出身、東京在住の身には全く馴染みのない土地です。だからこそ、歩いてみたくなるのですが(笑)。そんな榴ヶ岡駅周辺を、「今昔マップ」で見てみたいと思います。
2枚の地図で大きく違うのは、JR仙石線が地下化されているところです。元々宮城電気鉄道という私鉄だった仙石線は、東北本線と少し離れた場所に地上ホームがあり、クネクネカーブしながら電車が走っていました。仙台駅も、左の地図は駅の東側に機関区等があったようで、駅前は特に栄えていない感じもします。右の地図では、仙石線が地下化された後で区画整理事業も行われ、新しい広い街路が出現しています。
ということで、榴ヶ岡駅から下車して歩いてみたいと思います。
■榴ヶ岡駅から歩く
市街地を少し歩くと、路地裏のような場所に階段が。そこを登ると、榴岡天満宮がありました。
榴岡天満宮、思った以上に立派でした。ちょうど受験シーズンを迎える娘がいる身にとっては、良い合格祈願ができる場に巡り合えたと、出張先から手を合わせました。掲げられていた絵馬も、東北地方を中心としたさまざまな学校等への合格祈願をするものが多く、地域性も感じられてよかったです。
きれいな街並みの仙台駅東口地区。実は昔の地図を最初に見た通り、昔は寺が多数存在する狭い通りが密集する地域で、本来の仙台城下町と鉄道で分断され、密集しているのに不便な地域になっていたようで、それを大きく3回に分けた区画整理事業を行い、きれいな街並みに生まれ変わりました。
実はこの辺りを散策したかったのは、地上線時代のJR仙石線の痕跡を探したかったからだったのですが、区画整理事業が完成したことにより、仙石線の廃線敷はすっかり新しい街の街路網に飲み込まれてしまっています。と思ったら、どうやらもう少し丁寧に歩くと、色々と痕跡が残っていたようです。こちらのサイトが詳しいですね。
さて、この日の宿のある、仙台駅西側に向かいましょう。
島崎藤村は、この仙台駅東口付近に下宿していたことがあるそうで、そのご縁もあり、ここに詩碑を設置しているようです。
この神社は、先ほどまで訪れていた塩竃市の鹽竈神社の別院みたいなものなのでしょうか。この神社があった場所で、島崎藤村は当時下宿していたそうです。
■終わりに
東松島市、塩竃市からの帰り道に寄り道した、仙台駅手前の、榴ヶ岡駅からの夜のお散歩。本当は地下化された仙石線の痕跡を地上を辿ることがしたかったのですが、それができなかった代わりに、区画整理をした町の雰囲気を味わうことができました。今まで知らなかった仙台の街が、また新しく理解することができたのではないかと思いました。