★大山街道(柏尾道)を歩く④:伊勢原市下糟屋地区を歩く
海老名市から伊勢原市に向かう柏尾道大山街道の街道歩き。同行者の大貫さんの地元愛が炸裂する隣で、土木的目線で少々マニアックにマイペースに歩いています(笑)。そんな珍道中。何だかいい感じのマニアックな道中になってきました。
(前回の記事はこちら)
今回は、伊勢原市下糟屋から先、小田急線の北側を大山を目指して歩きます。今回もまずは、今昔マップで歩くルートを眺めてみましょう。
まずは、小田急線と大山街道(柏尾道)との交わる踏切から探索を開始したいと思います。
下糟屋は、大山街道(青山道・柏尾道)の交わったところにある宿場町だったようで、古い町並みが残る趣のある場所でした。宿場町から少し外れて、渋田川を渡ったところには・・、
そう、伊勢原とは、「太田道灌」ゆかりの地なのです。
太田道灌は、室町時代に関東地方を中心に活躍した武将で、江戸城を最初に築城した人として知られていますが、その太田道灌が暗殺されたとされるのが、この伊勢原の糟屋館と呼ばれる屋敷であったとされており、この下糟屋の地に首塚が、そしてもう少し上流の上糟屋に「胴塚」があります。伊勢原市では、毎年、道灌の鷹狩り行列をメインイベントとした、「伊勢原観光道灌まつり」が開催されています。昨年までは中止されていましたが、今年は久しぶりに開催されるようです。その際は、北条政子日向薬師参拝行列も再現されます。北条政子といえば、「鎌倉殿の13人」のメインキャストにもなっています。今年は盛り上がることを期待したいものです。
下糟屋にある高部屋神社と、隣接する丸山城址公園。もともとは千鳥ヶ城(丸山城)と呼ばれた城郭がありました。城郭はこの丸山城址公園付近だけでなく、今の東海大学医学部の建物がある丘の上付近まであったようで、矢掛という防御用の陣地を築造していたりと、人工的な城郭地形も残っているのが興味深いです。
東海大学を少し西に進むと、咳止め地蔵尊というお地蔵さんがあり、渋田川を渡ります。ここをまっすぐ進むと、矢倉沢往還(国道246号)になり、少し西北に進む道を行くと、大山道になります。
大山道は、下糟屋地区を越えて、いよいよ大山阿夫利神社に近い場所に向かっていきます。今回の探索、結構歩いたので、このあたりで駅に戻ることもできたのですが、せっかくなのでもう少し歩くことに。夕暮れの町の街道歩き、もう少し続きますが、今回はここまで。
■終わりに
伊勢原市下糟屋地区の散策。昔の大山街道の宿場町に、太田道灌ゆかりのお寺や首塚があり、古くからのお城である、丸山城と高部屋神社がある、とても興味深い場所でした。そこに国道246号が横切り、東海大学病院などが立地しているという近代的な要素が入り込んでいることが非常に印象的です。
次回は、昭和以降の大山詣でのメインルートである、伊勢原駅から大山に向かうバス路線が走る、平塚・藤沢方面から伊勢原駅前を経由して大山に向かう田村道・矢崎道大山街道との合流点である、石倉橋を目指します。