【南大沢土木構造物めぐり】No.38 大田川の橋を歩く
「南大沢」という地名を作った川は、大栗川の支流、大田川です。ある意味南大沢の「主役」と言ってもいい登場人物です。大田川は、南大沢駅の少し北東側、多摩ニュータウン通りを南大沢警察署の東側にある交差点を進んだところから顔を出し、京王堀之内駅付近で大栗川に合流します。そこまでの短い距離に架かる橋を紹介したいと思います。
ちなみに、大田川の源流は、本来ここから坂を登った小山内裏公園の「大田切池」になります。ここから大栗川に合流して多摩川の河口にたどり着くまでについては、下記の「しずくのぼうけん」に書いていますので、こちらも参照してください。
では、大田川の橋を、上流側から紹介していきましょう。(※一部橋の名前が間違っていましたので訂正しています)
【①その名もずばり‥】~大田橋~
大田川は、多摩ニュータウン通り沿いに流れているので、橋も交差点付近にあることが多く、交通量の多い道路橋が少なくありません。この橋もそういう橋で、作りはいたってシンプルな橋です。【1978年2月竣工】
【②不思議な名前の橋】~おかんどう橋~
次は、「おかんどう」という不思議な名前がついています。近くに祠でもあったのでしょうか。橋のデザインは大田橋と共通化されているようです。ここも交通量の多い交差点近くにある橋です。【1977年12月竣工】
近くの由木緑道の入り口には、道祖神などの古い石仏が大切に管理されています。
【③昔の橋の形が想像つきます】~板橋~
次も、同じような橋ですが、こちらは東京23区の名前とは違い、はしはにごらず、「いたはし」と読みます。読んで字のごとく、昔は板を渡しただけのシンプルな橋だったのでしょうか。【1977年3月竣工】
【④車の往来の激しいところにある橋】~川端橋~
この橋もやはり、車の非常に往来の激しいところに架かっている橋です。橋のデザインは画一化されているので、どの橋がどれ?と言われてもなかなか正解するのが難しいかもしれません。【1976年3月竣工】
【⑤合流点の手前にある橋】~峯ヶ谷戸橋~
最後の橋は、峯が谷戸橋。合流点のすぐ近くにあります。「峯ヶ谷戸」とは、写真の奥に見えている、京王線近くの坂付近のことを指すようです。当時の川は、もう少し谷戸に近いところを蛇行して流れていたようです。
【おわりに】
大田川は、ニュータウン開発に伴い、蛇行していた小川を直線化した近代的な河川に改修した経緯があるようで、1976年ごろから1978年ごろまでの短期間で一気に橋が完成しており、河川改良もその時期に飛躍的に進んだようです。昔の面影は消えた部分も多いですが、道祖神や橋に残された地名などから、歴史を振り返るのも重要なことかと思います。
昔はのどかな農村だったところが、交通量が多く、多数の飲食店などが建ち並ぶ賑やかな街道筋になりました。川沿いの緑道は、少しのんびり歩くこともできます。
南大沢近くの川を歩きながら知ることも、また楽しいと思います。
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